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今日のホットダイアリー  8

◎弘法大師様はここだけが惜しいと、個人的には思っている

                     R2/9/25

 

 天台宗を開いた最澄様と高野山を開いた空海様、平安時代を代表する僧侶であり、ともに一宗を開いた偉大な宗祖であります。

 

 最澄様はコツコツ修行を重ねていく努力家タイプ、空海様は天才タイプです。

 真反対のタイプなのです。

 

 偉大な宗祖の方々でありますから軽率な事は言えませんが、タイプは違うけれども良いライバルであったような気がいたします。

 

 一緒に中国へ渡られるのですが、空海様はいきなり密教のメッカ長安青竜寺の恵果大和尚の元へ行き密教の奥義を伝授されます。

 

 一方最澄様は中国で学んだ中で、密教習得の不足を認識していました。

 そのため、空海様の弟子になって教えを請うたほどです。

 更に理趣分釈経の閲覧要求に対し「経を読んだだけでは会得不能、実際の修法によらねばならぬ」との厳しい答えに、最澄様は自分の信頼する弟子を空海様に預けたのです。

 

 その弟子が、密教に魅せられ、もう最澄様のところへは帰らぬとの意志を示したので、空海様もそれを了承したのであります。

 

 もしこれが事実であれば、最澄様の弟子であるならば、一旦、最澄様にお返しをすべきではなかろうか。

 

 いかに最澄様も自分の弟子であるとの思いがあったにせよ、一旦はお返しして、再度空海様の元へ再弟子入りをするのが、人の道ではないだろうか。

 

 人はどうあるべきかを説くのが仏法であるとするならば、これだけは空海様の失点であるような気がしてなりません。

 

最澄様と空海様

◎本日葬儀の104歳のおばあちゃまとの思い出

                                                                   R2/9/24

 

 平成17年に弘長寺の阿弥陀堂(位牌堂)を改築いたしました。

 工事が始まる際、仏像を名古屋の修理業者に送った。

 その時に仏像胎内からまれに見る良好な状態の経筒と夥しい数の文字が発見された。

 

  一躍宍道町有形文化財に指定された。(現在は松江市有形文化財)

 

 この10年くらい前に、先住(前の住職)が位牌堂が倒れそうだから改築せねばならん、と訴えておられた。

 

 しかし、護持会も蓄えが無く、中々機運が高まらなかった。

 

 そこで私は、位牌堂(阿弥陀堂)改築の為の浄罪集め、托鉢を始めた。

 あじろ笠をかぶり、正体が解らないように真剣な托鉢をした。

 

  今日の葬儀のおばあちゃまの地区へ伺い、おばあちゃまの家で托鉢の読経をしたが、誰も出てこられなくて、留守だと思い、次のお宅へ向かって100メートルほど歩いていたところ、後から「ハアハア」息を荒げながら追いついて来たのが、このおばあちゃまでした。

 「イヤー、必死で追いかけてきたわー、あれー、あんたウチのお寺の和尚さんかいね」このときほど有り難いご喜捨を頂いたことはなかった。

 

 菩提寺の副住職とは解らずに、邪険に追い払われることも結構あった托鉢だけに、絶対忘れられない、有り難く尊い喜捨をいただいたこのおばあちゃまは、間違いなく「お浄土行き」決定です。

托鉢の懐かしい想い出

                                                     R2/9/23
 
 例えば殺人裁判で死刑を逃れた罪人は、無期懲役だからといって安穏な獄中生活を送れる訳がありません。
 おそらく死ぬまで獄中で、闇夜の恐怖にさいなまれるに違いありません。
 
 必ず殺された霊が毎晩襲ってくるはずです。
 
 大罪を犯した人は、警察に捕まらなくとも、毎晩自分が殺した霊に襲われます。
 やっと死が訪れても、今度は地獄が待っています。 
 どうあがいて逃げ切ったと思っても、未来永劫逃げ切れる事はなく、因果応報という罰は必ずあり得ると思っています。
 
 曹洞宗を開いた道元様が、善果や悪果は来世でも、再来世でも、その次の世でも必ず現れると示されています。
 
 私が35歳で出家を思い立ち、しばらく実家にいた頃、民生委員をしていた母について見回りに出かけたことがある。
近くに自分の実家はあるのに、人目を避けて河原の木小屋に顔中髭伸び放題で、一人住んでいる方を訪ねた。
 
 近くに家族はいるのだから、食事も運んで貰えているのだけれども、社会と人との交流を断ち切り、一人ぽっちを楽しむ方がいた。
 
 母には心を許しているようだが、それでも話す言葉は「はい」と「えんや」(いいえ)だけであった。
 
 その木小屋を離れるといつも母が言った、あんなところに一人でいて何が楽しいんだろうね。
 
 でも楽しんでいると思うのは、こちらの勝手な判断であって、じつは何かから逃れようと怯えているのかもしれないし、人の心は解らないのです。
 
 私たちはどこにいても、夜になれば平等に闇がやってきます。
 
 曹洞宗を開いた道元様も、坐禅中も全く闇にしてはいけないと示された。
 全く闇になれば、寝てしまう事もあるし、精神に異常を来す可能性も出てきそうだし、道元禅の「覚醒して何も考えない」という、その覚醒の部分に悪影響が出るからだと推測できます。
 

許してくれー!

                                                                    R2/9/22
 
 そりゃ、お寺は夜怖い場所の極地ではありますが、一般のご家庭だって夜暗くなれば怖いのは一緒ではないかと思います。
 
 特に昔は、電気は薄暗い裸電球でしたし、街灯なんてありゃしませんでした。
 だから外はいつも真っ暗ですし、テレビのある家なんて殆どありませんでしたから、家の中だって薄暗い感じでした。
 
  そしてトイレ・風呂は母屋から少し離れた別棟になっていたお宅が多かったような気がします。
 月夜だと月明かりで移動が可能ですが、雲に覆われていたりするとローソクを頼りに移動です。
 
  すると、お寺だけが怖いとはいえないなと、薄らと解ってきたのです。
 
 今でもウチの男の子の孫は、昼間でも怖いからトイレについて行ってくれといいます。
 まだ明るいではないかと言うけど怖いというんです。
 
  怖がりですので、悪さをしたときには、「本堂に今夜一晩閉じ込めるぞ」の一言で途端によい子に変身します。
 
 孫達が怖がるのはお寺の周りにある墓地です、夕方までは墓地の中も走り回っていますけど、日が落ちると「帰りたい」と騒ぎ始めます。
 
 子供の頃は全て土葬でしたから、お墓から火の玉が飛んでた、という話も沢山聞きました。
 今では、燐が燃えるということが科学的に解るのですが、当時は霊魂が飛んでいるというのが常識だったのです。
 
 「お寺はイヤだ」という思いは、この少年時代の恐怖心の増幅によるものだったのです。

火の玉とは霊魂でおじゃるぞ!

◎お寺は怖いということがイヤというほど身にしみた

                                                            R2/9/21

 

 とうとうその夜が来た。

 

 布部村に一軒だけ映画館があった。

 一ヶ月に一度位の頻度で映画が放映された。

 時代劇が多かったように思います。

 月形半平太とか中村錦之助、市川歌右衛門の早乙女主水之助とか熱中して観ていました。

 映画を見た後は、自分も強くなったような気がしていました。

 

 時々時代劇に続いてアダルト映画もその日の内に放映され、途中で「子供は帰れよ」と帰された。

 

 大体夜の放映だったから、帰りは真っ暗です。

 ある日、怪談の放映がありました。

 やめとけば良かったのに、怖いもの見たさの興味も半分ありましたので、近所のお姉さんに頼んで、一緒に観にいくことになりました。

 

 怖くて途中からまともに映像を見ておりません。(牡丹灯籠だったかな)

 

 その帰り道、お姉さんと一緒に帰ったのだが、「我が家の玄関まで送ってもらえないか」とは沽券に関わるような気がして頼まなかった。

 

 しかし、それは後ですさまじい後悔を体験する人生最大のミスでございました。

 安養寺は弘長寺と違い、平地ではなく石段を30段上り切ったところに庭があり、

  そこから玄関まで13メートルを走らねばならない。

   いやいや、石段を登るその前に30メートルほどの参道もある。

 

 玄関に薄暗い昔の裸電球の灯りがついていたが、その日はホヤが切れる直前で点いたり消えたりしていた。

 2,3日前に聞いた祖父の怪談、石段を登った本堂の縁側にある釣り鐘の下に、足がない女性の上半身の幽霊の話を聞いたばかりだったし、今日の「牡丹灯籠」の強烈な幽霊で頭の中は一杯だった。

 

 参道から玄関まで脇目も振らず、猛然とダッシュした、あの早さだと運動会でも一等がもらえたかもしれない。

 石段から玄関までは大声をあげて駆け抜けた、こんな怖い思いをしたのは短い少年の人生で初めてだった、やっと母の顔を目にしたら涙が出てきた。

 

 そして、二度と映画を見に行かないと決意したのだった。

 

 

あーーー怖いよーーー!!

今日のホットダイアリー  8

           

◎小さい頃からお寺は怖いところでした

             R2/9/20

 

 勿論、今はお寺に住んでいて怖いと思うことは全くありませんが、小さい頃は怖くてしかたがなかった。

 昼は何とも思わなかったが、夜が来ると早く寝たかった。

 聞きたくもないのに祖父が、お化けの話をしてくれた。

 祖父は亀嵩の真宗のお寺から食いぶちを減らすため、布部の安養寺にあずけられたのです。

 大方丈様が泊まりがけで法事に出かけたその夜、女中さんと二人でこたつに潜り込んでいた。

 その時、本堂正面の戸がガラガラッと開いた音がした。

 その後続けて、本堂の西序室中(左奥)にある位牌堂の重い扉がまたギギギーッと開く音がした。

 女中さんは、こたつに更に潜り込んで耳に指を突っ込んでガタガタふるえている。

 祖父は十才くらいだったそうです、大方丈さんに「後は頼んだよ」と任されていたので、勇気を振り絞って棒を持ってロウソクに火を灯し、女中さんを伴って本堂の鍵を開けて、「誰だー!」と大声で叫んだが、返事はない。

 怖かったけど、本堂内を点検した。

 すると本堂の正面の戸が、心張り棒が外れて20㎝ほど開いていたそうだ。

 しっかり閉めて奥の位牌堂にいくと、重い扉がやはり20㎝ほど開いている。

 それを思い切り開けて「誰かいますかー」と見渡しても誰もいなかったが、一つだけ位牌が倒れていた。

 それを直して庫裡へ戻り、再びこたつにあたっていたら、今度は庫裡の正面の表戸をドンドンとたたく音。

 「どなたですか」と尋ねたら、何と位牌が倒れていた家の若い方だった。

 祖父は私が怖がるのを楽しむかのように度々その話をしてくれた。

 お陰でお化け恐怖症になってしまった。

 そしてその晩がやって来たのです。.………つづく

 

 

 

 

                               

お待たせー!

◎となりの家に蔵が建つと わしゃ腹が立つ

                                                                             R2/9/19

 

   似たような言葉に、となりの芝生は青く見えるというのもあります。

 

 となりの家に蔵が建った?

 いいじゃないですか、何を気にすることがありましょうや。

 

 となりの家で不幸が起きた。

 

 他人の不幸は蜜の味と言わんばかりに、内心微笑んだりする。

 なにかさもしいですね。(品性が卑しい)

 

 となりの家の好事には一緒に喜び、不幸の時には共に悲しむ、そんな人間になるべきです。

 

 家屋敷が裕福そうで立派であっても、住んでいる人がそれに相応する幸福を感じているかどうかはまた別物なのです。

 

 見栄を張って借金まみれで建てたのかもしれないし、家族の反対を押し切って建ったのかもしれない。

    家は立派でも、家族皆仲が悪く、いつも諍いが絶えないのかも知れませんし、ジャパンライフの山口元会長のように、詐欺で他人を地獄におとしめておいて、その犠牲のお陰で立派な家を建てているかもしれないのです。

 

 今は良いにしても、となりの家の仕事や商売が将来ずっと良好とは限らない。

 一寸先は闇なのです。

 

 立派な家を建てたことによる税も、次の代には重くのしかかる可能性だってあります。

 

 お寺もそうです、先代夫婦がいて私共夫婦がいて、子供が二人いたりするまでは良かった。

 先代夫婦が亡くなって、その代わりに子供夫婦に二人の子供(私にとっては孫)がいた頃までは良かったが、娘夫婦がとなり町に引っ越してからは、息子と二人だけの寂しい生活です。

 良いときもあれば、悪い時もあります、やはり「ケセラセラ」ですね。

 

 

 

立派な蔵ですが

◎仏壇がある日本は世界でも希です

                                             R2/9/18

 

 核家族化している都会はいざ知らず、田舎には必ず仏壇があります。

 何気なく朝ご飯とお茶をお供えして手を合わす、賞状でも頂いたら必ず仏壇にお供えする。

 

 他人から頂戴物をした時や、珍しい者が手に入った時にもまず仏壇にお供えして手を合わせてから頂く。

 

 仏壇にはお釈迦様や阿弥陀様、そしてご先祖様や代々の仏様の位牌が安置してあります。

 我が家の中に仏様の世界があり、その仏様の小さな館が存在するのは世界宗教の中でも日本だけではないでしょうか。

 

 海外から見れば、ミニチャーチ(小さな教会)として映り、素晴らしい考え方として絶賛する外国人の方もおられます。

 

 仏壇文化というものが日本人の心にしみ込んで、いつでも仏様や先祖代々の仏様に護られているという、謙虚で有り難いと思える生活を送れるのは日本独特の文化ではないでしょうか。

 

 しかし冒頭にも書いたように、都会で核家族化が進むと若い人には仏壇文化が受け継がれない現象が生じていますので、親の葬式でも罪悪感もなく、読経なし・お坊さん抜きでも平気で焼き場へ直葬したりします。

 

 こういう現象は仏教の衰退につながり、日本人の豊かな心の衰退につながり、助け合いの精神など薄れて、自分さえ良ければ良い、簡単で安ければ良い、面倒見たくなくても親がいる、という心貧しい、感謝を忘れた文化を作りあげていくような気がしてならない。

 

 「ストップ ザ・直葬」から声を上げて阻止していかなければなりません。

この姿に日本人の暖かい心が宿ります

◎もう一回だけ父の名誉挽回に戻ります ②

                                                                             R2/9/17

 そもそも十七条憲法が満足に読めないのです。

 

  1条:和……やわらぎ、  忤ふる……さかうる、 党有り……たむらあり、

        達れる……さとれる、事を論うに諧う……ことをあげつらうにかなう

      1条だけでもこんなにあるけど読めません。

 

  3条:天……あめ、 地……つち、  下靡く……しもなびく

        

  4条: 群卿百寮……ぐんけいひゃくりょう

 

  5条: 餮……あじわい

 

    ※一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。

 

   このように日本書紀に載っているのは全て漢文による文章です。

   私は恥ずかしながら全く読めません。

 読もうともしなかったし、まして覚えようなどとは、これっぽっちも思ったことはございません。

 

 出題した先生もよくこんな問題を出したものですし、それを小学校5年生で全文スラスラっと書けたというのですからあきれたものです。

見てるだけで頭が痛くなってくる

◎もう一回だけ父の名誉挽回に戻ります

 

 私が昭和61年に宍道町へ弟子・養子として入ったのですが、右も左もわからない状態でした。

 

 そしたら隣の地区の神社の宮司さんが私のところへやってきて、「君は米田恵吉の倅だそうだね」

 「え、父をご存じなんでしょうか」

 「私らの学生の頃、彼を知らない者はいなかったよ」

 

    驚きです、父の本名は「米田恵吉」、広瀬町布部の安養寺へ弟子・養子で入った時に僧名となり「村上光隆」となったのです。

    

    まさか何も知らぬ土地で、いきなり父の旧姓と旧名で語りかけられるとは思ってもいませんでした。

    

    当時、超有名人だったようです。

    

    父は最初小学校5年生から6年生を飛び越して中学生になったのだが、その5年生の時の「飛び級」の問題はどんな問題だったかというと、一問だけ問題が出て、「聖徳太子の十七条の憲法を全て書け」という問題だったそうです。

    

    たまたま覚えていたから書けたそうですが、普通十七条の憲法って覚えていますでしょうか。

    

    有名な「和をもって貴しと為す」くらいは出ても、十七条全部覚えている方はよっぽど聖徳太子に思い入れでもない限りは普通は絶対覚えてないと思いますから、それが書けるなんてやっぱりすごいと思います。 

十七条憲法全て書けるかな?

◎精進料理は仏教の教えだろうか?

                                                                                             R2/9/15

 

 出家した僧侶は、本来は精進料理を食べるのが当たり前と思っている日本人は多い。

精進とは一心に修行するという意味です。

 明治5年に政府通達「肉食・妻帯・蓄髪勝手たるべし」によって仏教界は大混乱に陥りました。

 この時期は神仏分離により、廃仏毀釈が発生した時期と一致しており、政府の仏教を堕落せしめんとする意図がうかがい知れます。

 

 そして現在では、僧侶の肉食・妻帯は当然という寺院文化となっているわけです。

 

 しかし、仏教の源であるお釈迦様は、精進料理なんて食しておられなかったのです。

 

 お釈迦様の時代、一般民衆の食文化は結構豊富な食材でした。

 野菜もあれば肉もあったのです。

 

 お釈迦様は動物を殺す場面に遭遇したその肉や、自分をもてなす為に出された肉は決して食されなかった。

 

 但し、出家者僧団は托鉢により食していたのです。(一日一回の食事)

 托鉢によって、その一般宅で残った食物を頂いて持ち帰り、それを大きな器にいれてかき混ぜ、分配したのです。

 肉が入っていれば拒否するなどという托鉢はしておられません。

 

 だから自分の器に何が入っているか解らなかったのです、肉もあれば野菜もある。

 全ての食材に感謝していただいたのです 。

 

 精進料理は中国での発想です。

 不殺生戒の戒律から生じた考え方です。

 よく考えれば、動物だけでなく植物や野菜にも命があるのですけどもね。

 

 托鉢という食材収集方法によるという限定ではありますが、この条件の範疇では肉食は許されていたのです。

 

 ですから自己弁護ではなく、一概に僧侶は、本来は肉を食べるべきではないという思い込みだけは、再考の余地があるのではないでしょうか。

精進料理

◎着実に老いている実感

                                 R2/9/14            

 

 最近は、以前には考えられなかった失敗をするようになった。

 いつまでも自分は若いのだと錯覚していても、その「若さと老いの区切り」なんてのはない。

 

 日本の民法としての老人は規定できるが、自らの意識の中では、いつからこれは老いだ、この時点で若さを終えたなどと規定できないのです。

 

 つまりは、この生きている現実の中で、いつでも若さと老いが同居しているのだと思うようになった。

 

 年齢が若い時でも、例えば病に取り付かれれば、すぐに老いと死の思考に脳内が占領されるし、年齢が80歳を超えても「何だ、まだまだ能力は衰えていないし、輝かしい明日を感じることができる」こともあり得るのだと思います。

 

 だから100歳を超えたって、いつまでも若々しい思考の方がいらっしゃるし、20歳の若い方でも、すでに人生が終わったようなことを仰る方だっているのです。

 

 ただどんな方でも脳細胞の衰えは、年齢とともに感じるのでは無いだろうか。

 ちょっと前までは考えられなっかった失敗をして、「何だこれは」と愕然とする時が多くなってくるからです。

 

 ひろさちや先生は「生まれたついでに生きているんだ」とおっしゃったが、何故人間に生まれて来たのかその目的なんて解りゃあしないし、死ぬ時期だって、何故死ぬのかだって解らないのです。

 つまりは解らない人生の中で、死について納得しようがしまいが、いつのまにか死んでいくのです。

 そうすると、やはり「ケセラセラ」…なるようになるさで解らないまま仏様にお任せの人生を送るのが、最上の生き方だと思います。

 

こんな人生…イヤだ

◎膝を曲げると急にいたくなり

        正座が出来なくなったことがある                                                                                      R2/9/13

 

 お年寄りでも膝に悩みを抱えている人は沢山いらっしゃると思います。

 

 そもそも私は正座が大の苦手でした。

 お寺がイヤで飛び出したのもそれが一因でもありました。

 15分も正座していると、痛くてしびれてすぐに立てない状態でした。

 2年間の修行生活を終えた時、痛みやしびれがやってくるまでの時間は少し延びたが、

やはりやがて痛みやしびれがやってくるのは同じであった。

 

 体重をうんと減らせばもっと楽になるのは解っているのだが、なかなかそう簡単にはいかないのです。

 

 それでも50半ばを過ぎた頃から、極端に正座が楽になってきた。

 ところが安心をしておりましたら、65歳ころ急に正座の際、激痛が走り正座が出来なくなり、整形外科でレントゲンを撮ってもらったら、薄いけどまだ軟骨は無くなっていないと診断された。

 その時痛み止めの注射を打ってもらったが、痛みは消えなかった。

 

 そのことを境内の清掃手伝いをおねがいしている大工さんにお話ししたら、「私は、通信販売で手に入れた『イタドリ』で治った」とおっしゃったので、即購入、即試したら、一発で治った。

 

 何でも試してみるものだなあ、と感心した。

 

 但し薬が効くかどうかは人によって違うそうですが、痛みのあるかたは試す価値は充分にあると思います。

 

他人にはわからない

◎ここらでちょっと一休み

                                    R2/9/12

 

 父親の名誉挽回にひたすら走ってきましたので、ちょっと一休みしましょう。

 

 皆さんのお宅でも飼い猫がいらっしゃるご家庭もおありでしょう。

 

 今日はその飼い猫のお話をいたします。

 

 うちのなくなった久美子お婆さん(養母)が捨て猫をかわいがっていました。

 その猫、(ミーコ)も自分が一番かわいがってくれるのがお婆さんなので、いつもお婆さんにすり寄って、ノドをゴロゴロ鳴らしていました。 

 

  自分のご主人はお婆さんであることをしっかり認識しておりました。

 お婆さんは60歳過ぎてから免許を取って運転していましたが、いつもお婆さんの車の屋根に登って昼寝をしたりしていました。

 

 お婆さんは、夜寝るときもミーコを自分の布団の中に入れて一緒に寝ておりました。

 ある夜、ふと胸のあたりがゴソゴソするので、起き上がって電気をつけ寝間着の胸からゴソゴソの物体を出してみて、「ギャーーーーッ!」と異様な声で叫んだのです。

 

 それは頭を思い切り噛みつぶされて半殺しになった、血だらけのシマヘビでした。

 その横でミーコが「どんなもんだい」てな顔をしてふんぞり返って座っていました。

 

 多分ミーコは、褒めてもらおうと思って戦利品をご主人様に持って行ったのです。

 その夜からお婆さんはショックでしばらく不眠症になってしまいました。

 

 ミーコはそんなこととは露知らず、お婆さんが「ギャーーーーッ」といってあんなに喜んでくれたから、今度はネズミにしようか、大カエルにしようかを布団の中で考えていたことでしょう。

 

 猫をかわいがってる方はくれぐれも油断めさらぬように!!

次は何をご所望ですか?
トカゲ?ネズミ?

◎父の語学力が戦犯の命を救う一助となる ⑥

                                                  R2/9/11                                  ここで私の疑問の一つでありました古瀬少将のその後について、ある程度想像は出来ていたのですが、納得できる答えを頂きました。

 

 あれだけの覚悟ができていて、莞蕾氏に減刑嘆願などするなと言い置いて、後の可能性も断ち切ったつもりでおられた古瀬少将は、最終的に助命されたのです。

 

 それは莞蕾氏の嘆願がやはり効を奏したということですが、しかしそれはあれほど

「減刑嘆願は止めてくれ」と念を押して頼んだはずなのに、それを莞蕾氏が裏切った結果になってしまったのです。

 

 助命という結果を得て、両人ともに何とも後味の悪い思いを味わうことになってしまIいました

 

 多くの若者の命を奪った軍の最高幹部としての責任の取り方で、喜んで銃殺刑執行の覚悟を決めていた古瀬少将は愕然とされたはずです。

 

 自殺では駄目なのです、銃殺刑こそが自分を自分たらしめるこの上ない責任の取り方であるし、究極の美学でありました……武士道では切腹があるけれども、自分の中ではそれを良しとはされなかったのでしょう。

 

 だから莞蕾氏に対しては、助命されてうれしいどころか、恨めしい思いを持たれたに違いありません。

 多分魂の抜け殻のようになられた古瀬少将を見て、莞蕾氏は「しまった」と思われたでしょう。

 ここで初めて、やみくもに助命嘆願運動すればよいというものではない、立派に銃殺刑にしてさしあげることこそ、彼を救う唯一の道だったと懺悔の念をもたれたに違いないと思います。

 

 そして古瀬氏は、おめおめと生き恥をさらしに故郷へなど戻れるかという思いと、莞蕾氏にも二度と逢おうともされなかったでしょう。

                                      

 安来市出身の女性と、東京でひっそり、申し訳ない思いで生きられたとのことです。

 

 私もこの件に関して深入りし過ぎて、余計な事を書いたことを後悔しています。

 

私の祖父…加納画伯作
今にも絵から飛び出しそうです

◎父の語学力が戦犯の命を救う一助となる ⑤

                                                           R2/9/10

 

     ということで、疑問がわくと早く解決したいので、早速名誉館長である佳世子女史に逢いに加納美術館に出かけました。

 

 お忙しくていらっしゃったのですが、突然の面会にも快く応じて下さった。

 

 思い出せば昨年、故キリノ大統領の親族の方を日本に招待され、そのレセプションに弟の代わりに私がホテル一畑に招待されました。

 

 私は初代館長の奥様が亡くなられて以来、加納家とは疎遠になっていたのです。

 そして佳世子女史の顔も子供の頃からもちろん知ってはいたのですが、余り深く話したこともありませんでした。

 

 私が招かれるのは気が引けるような思いで、そのレセプションに出席しておりました。

 そしたら佳世子女史が、思い切り最高の笑顔で話しかけて下さったのです。

 

 破顔という言葉がありますが、これ以上ないという顔をクシャクシャに崩しての人なつっこい思い切りの笑顔でです。 

 安心してお話ができる方だと思いました。

 

 世間には、初対面から相手の懐にポンと飛び込む術を心得ていらっしゃる方が時々おられますが、まさにそのタイプなんでしょうね。 

 

 今日は美術館の食堂で、2時間たっぷり、思い切りお互いの父親について話しました。

 

 私は今日、女史の会議中、美術館のビデオで涙を流し済みだったのですが、莞蕾氏は平和嘆願に熱を入れすぎて家族の生活などお構いなしだったのです。

 女史は子供時代の生活を思い出し、ぽろぽろ涙をこぼされました。

 

 そして私の話も聞かれながら、「莞蕾と光隆先生は強い絆でタッグを組み、この手紙を明日の朝までに翻訳せよ、など無理難題なわがままを押しつけられたりしていた、その使いを子供の頃にしていて、待たされている間お菓子などを頂くのがうれしかった」

 

 お互いだからこそ深くわかり合える時を過ごし、女史ともやっと深いところで理解し得たような気がいたしました。

 

特攻隊…帰りの燃料はない

◎父の語学力が戦犯の命を救う一助となる ④

                                                                                                                               R2/9/9

    加納莞蕾氏が何故平和運動、特に戦犯赦免嘆願活動を始めたきっかけは、一人の軍人の影響を受けたからです。

 

 それは島根県木次町出身の海軍少将、古瀬貴季氏と出会ったことだった。

 フィリピンから復員した彼と出会い、2ヶ月後に裁判の呼び出しで東京へ向かう古瀬氏を荒島駅で見送る。

 

 特攻隊の命令を下し、将来ある若者の命を奪った罪は深い、自分の裁判結果が出ても、減刑嘆願などするな、という彼の責任の取り方と揺らがぬ覚悟に圧倒され、感動した莞蕾氏は、こういう方を死なせてはならないと思ったのです。

 

 そして5歳の佳世子さんを連れ東京へ、死刑宣告となった古瀬氏の助命嘆願に走るのが平和運動へのきっかけとなったのです。

 

 ただこの古瀬少将が死刑執行となったのか、或いは助命となったのかは、ネットで調べるも定かではないので、佳世子女史に今後伺ってみたいと思っています。

 

戦争…殺し合いです

◎父の語学力が戦犯の命を救う一助となる ③

                                                              R2/9/8                    さて、ここで初代館長の父である加納莞蕾従軍画家に話を移しましょう。

  加納莞蕾氏はフィリピンのキリノ大統領に108名の戦犯赦免を嘆願し、200通以上の手紙を送り、遂にキリノ大統領の心を動かし、105名の恩赦を得たのです。

 

  マッカーサー元帥やローマ法王への手紙もあり、総計300通にもなる。

    キリノ大統領は、日本兵に目の前で妻や子、家族5人をころされて殺されているのです。

 その憎き日本兵を赦せと200通もの嘆願書を受け取ったのです。

 

 その嘆願書や手紙を英文に訳す作業を依頼したのが、菩提寺の住職であり、中学校の英語教師をしていた、父であった。

 

 父は加納氏の意に賛同し、全ての和文を英文に翻訳した。

 

 私が高校生の時、父からの翻訳文書を、当時日立記念病院に入院しておられた加納氏に届けていた。 

 中身の件は全く知るよしがなかった。

 その病室は画材でいっぱいだったが、その中でニコニコしながら応対してくださった。

 加納氏もこの若いボンボンに詳しく話してもまだ解らんだろうという感じで、雑談のみで嘆願の件は何も話されなかった。

 

 まさかそんな大切な書簡の受け渡しをしていたなんて、後で聞いてびっくりです。

 

 キリノ大統領の心に届く文章を英文に翻訳するのは、稚拙な翻訳では駄目であったろうし、おそらく父にも大変な勉強になったに違いない。

 

戦争…殺し合いです

◎父の語学力が戦犯の命を救う一助となる ②

 

 薄基氏は、備前焼き収集に力を入れられたが、ご法事の席で小さな香炉を持ってこられて、「この小さな焼き物1個で、立派な家が一軒建ちます」と仰っていた。

 そう言われても、私には価値も何もわかりませんでしたが。

 

 その内、収集だけでは飽き足らず、自分でも釜を作り、自分で造った陶器をご法事の席で披露された。

 

 もし欲しければ一つ差し上げます、言われたので私は迷わず自作雅号の「如水」の文字入り薄茶茶碗を選んで頂戴した。

 箱も箱書きもないのですが、実際に初代館長さんの雅号入り作品に間違いなく私の数少ない宝物の一つです。

 箱書きはなくても、茶碗にその文字が入っていればそれが何よりの証明です。

 

 「如水」はすぐに黒田如水を連想しますが、素晴らしい名前ですね。

 水はその器に合わせてどんな形にも収まります。

 そういう人生を歩んできたという初代館長さんの思いが詰まっているような気がします。

 

 本当は宝物は箱でもつくって大事にしまっておくべきなのでしょうが、私は正月元旦の家族の年頭挨拶のお茶の時間には、この茶碗で頂くことにしていましたが、家内が亡くなってからは使うことがなくなりました。

 

 初代館長さんの自作茶碗を持っていらっしゃる方はそうそうないのではないかと思います。

 

 その後、加納美術館初代館長、薄基氏も亡くなり、後を追うように奥様もお亡くなりになった。

 

 私が寺報を作るようになってから、加納家に必ず送っていましたが、初代館長さんがお亡くなりになってから、奥様からわざわざお電話をちょうだいして、寺報の内容を褒められた思い出があります。

 

 やさしいご夫婦でありました。

 

宝物の茶碗です

◎父の語学力が戦犯の命を救う一助となる

                                                       R2/9/6

 

 安来市には、二つの大きな美術館がある。

 一つは横山大観の作品収集で世界的に有名な足立美術館であり、もう一つは広瀬町布部にある加納美術館です。

 足立美術館は説明することは不要でしょうから、加納美術館を少し紹介しましょう。

 

 加納美術館は、旧能義郡広瀬町布部村の元村長で、従軍画家だった加納莞蕾先生の長男、薄基氏が私費を投じて開いたのです。

 

  薄基氏は父の教え子で、極めて優秀な方でした。

 広島大学の入学試験に万年筆で解答した方です。

 つまり、学力に絶対の自信があり、消しゴムなど要らないという訳です。

 

 卒業後、起業されました、それは空から航空写真を撮影する会社でした。

 恐ろしいほど儲かって、岡山の古備前や人間国宝と呼ばれる名陶たちの備前焼きを買い集めたのでした。

 

 私がお坊さんに成り立ての頃、父の運転手をしながらお坊さんをしておりましたから、岡山の薄基氏の邸宅に一人娘さんの悲しいお通夜・葬儀にお邪魔したことを覚えています。

 

 その娘さんは、美しい方でしたが、小さい頃からのご病気でお亡くなりになりました。

 

 薄基氏が、涙を浮かべて「とうとう男を知らずに逝ってしまいました」とおっしゃった言葉を鮮明に覚えています。

 

悲しい葬儀でした

◎かなりの方がこのホームページをご覧になってるようだ

                                                                      R2/9/5              先般ある寺族さん(お寺の奥さん)がお亡くなりになり、葬祭会館で葬儀があり、コロナ禍による外出を控える対策により宗門の寺院様方とも接触の機会が奪われてきたが、久々に懐かしい顔ぶれ(ご寺院)にまみえることができた。

 

 特に寺報に対する評価を「格調高い」とたくさん頂いたし、ホームページに対しても「面白い、いっぺんに全部読ませてもらった」などと高評価をいただきました。

 

 お盆の棚経の際も、「ホームページ見てますよ」の声を何人かからいただいた。

 

  私のホームページはあきばれホームページを使っています。

 手順を覚えてしまえば、そして原稿さえ出来ていれば、60分から90分で公開できます。

 良いホームページ業者に出会えたと思っています。

 

 ただ現在は訪問者数の解析アプリが親元で故障をしておりまして、実際どれくらいの訪問数があるのかは全く解りません。

 

 

 台風10号が明後日近づきます。

 特別警報が台風が来る前に何度も警告されるほど曾てないほど猛烈な台風のようです。

 九州の球磨川で先般被害を受けた旅館などでは、女性が涙を流して嘆いていました。

 気の毒でたまりません。

 

 当山も土砂崩れの箇所が心配です。

 何も被害がないことを祈りますが、こればかりは天のみぞ知るのでしょう。

特別警報級です

                                                                             R2/9/4
 
 日本に帰還した父は、田舎に留まる決意をしたようだ。
 
 政府から、ドイツ大使館の事務官としての就任以頼がきても断った。
 戦勝国への就任なら考えても良さそうであったが、敗戦国の大使館だから、満州の引き上げ体験も手伝って、外国へは行きたくないと断ったそうだ。
 その気持ちはよく解ります。
 
 弟の話では、何故七ヶ国語をしゃべれたかというと、建国大学の寮で、フランスやドイツなど欧米各国から来ていたエリート同寮者に日本語を教えてやると言って、日本語の授業を独自に開いたので、そこで各国の言葉も覚えていったとのこと。
 
 一度聞いたら忘れない超記憶力の持ち主でもあったようです。
 
  父は長男ではなかったので、安来から広瀬町布部の安養寺に弟子・養子として入って来た。
 お坊さんになるためには修行が必要なので、永平寺で一年間修行した。
 
 帰って来たときには、永平寺の習慣だと言って、真夜中の朝3時から勤行(読経お勤め)をして家族から「やめてくれ」とのブーイングを受けたそうだ。
 
 お坊さんとともに、中学教師の委任状を受け、布部中学校の英語教師となったのです。
 
                                                                          続く

お坊さん教師です

◎ごめんなさい、若干訂正です ③

                                                    R2/9/3

 

  実家の安養寺住職(弟)から訂正した方が良いと忠告がはいりました。

 正確を期したつもりでも、記憶違いがありました。

 二点だけ謹んで訂正をさせていただきます。

 

 父親は9人兄弟の4番目と書いたのだが、3番目の間違いであった。

 

 もう一つは一ヶ月酔いの後、一旦日本に帰ったというのは間違いで、そのまま満州にいて悪酔いの収まるのをじっと耐えて待っていたのです。

 

 日本に帰ったのは建大4年生、20歳の時、終戦直前で政府の財政も底をつき、日本の敗戦が濃くなり、満州の維持や建大運営が出来なくなってきた時です。

 

 建大生を全員日本に帰し、すぐに今度は改めて彼らを満州に兵士として出兵を命じたのです。

 

 それは、まもなく終戦であることがわかっていながら出兵の命を出したのです。

 

 そのとき少尉の位をもって、兵士として13人の部下を連れて満州に渡りました。

 

 その時に終戦となったのですが、終戦だと知らずに満州に滞在したのです。

 それは敗戦兵となり、捕らえられる身となったことを意味し、命の危険さえありました。

 

 政府は、終戦がほぼ決定していたのにも拘わらず、帰りの燃料のない特攻隊と同じような戦略……つまり「死んでこい」と命じたのだろうと容易に推測できます。

 人の命を軽んじていた証拠ですね。

 

 敵地でかなり遅れて終戦を知った父は、前回書き込んだように、夜行軍で命からがら日本に帰ってきたのです。

 

 記憶違いとは言え、間違った文をお載せして申し訳ありませんでした。

                                続く

 

満州からの引き上げ兵

 ◎大酒飲みの源流はここだった ②

                                            R2/9/2                                       

 

 建国大学では、満州の現地で各村の村長のところに政治見習いとして住み込みの経験をさせられたとのこと。

 

 その村の祝宴に参加した父は、若造として馬鹿にされないようにチャンチュウ(50度以上の焼酎)を一気飲みして倒れた。

 

 二日酔いが普通であるが、彼は一ヶ月酔いを体験している。

 

 一旦日本に帰り、すぐ満州に行き、体調を整えてから仕送りのお金で、チャンチュウを購入して飲酒を鍛えた。

 おかげでチャンチュウを平気で飲める様になった。

 

 「チャンチュウと比べたら日本酒なんてジュースみたいなもんだ」

 田舎で中学教師になっても一生酒をペロリと飲んでいたのも、このチャンチュウ修行のおかげだと豪語していた。

 母を悩ませた大酒飲みの源流はここだったのです。

 

 建国大学の寮には、日本人はもちろん中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人と色々な国からスーパーエリートが集まっていた。

 おかげで七ヶ国語を自在に操ることが出来たそうだ。

 

 彼が大学4年生の時、終戦となった、おかげで卒業証書を手にすることはできなかった。

 満州国は解体し、建国大学も解体、運が悪い建大生は捕まり、シベリア送りに処された者も沢山いた。

 彼はすでに20歳ながら少尉の位を得て、部下を13人引き連れて、夜陰に乗じ、語学をうまく使い、国からの仕送り金を賄賂などの逃走資金として使いながら何とか全員日本に帰国できた。

 

 戦争に翻弄され、生死に直面するすごい人生だったと思います。

                            続く                                

満州からの引き上げは想像を絶するものがあった

◎ここで父の名誉挽回をしておかねばなりません  ①

                                                                      R2/9/1                                                                          

先日、私の父のことを大酒飲みのお坊さんとこきおろしたのだが、父の名誉のためにもここで名誉挽回をしておかなければなりません。

 

  父は安来市早田町(宇賀荘は間違い)の農家出身で、9人兄弟の4番目、大正14年生まれ、幼少時から秀才中の秀才でありました。(もちろん私にその血は殆ど流れていないような気がします)

 

  昔は成績優秀者が学年を飛び越える、「飛び級」があったのです。

  父は小学校5年生から6年生を飛び越えて松江中学に編入、そして中学3年から満州の建国大学の2年生に編入した。

  松江中学では竹下 登 元総理と同級生となり、「竹下に数学を教えてやっていた」とのこと。

 

 当時、建国大学は東大より難しいと言われていた。

  その建国大学に2年編入だから、我が親ながら大したものである。

 

 父は経済的に東大は無理だったので、授業料無料で勉強しながら国からお金五圓(給料)をいただけるエリート軍人最高幹部候補生を育成する建国大学に進んだ、今でいう防衛大学みたいなものだが、当時建国大学は東大以上に最難関であった。

 

 それを証明するのに、東大合格者は新聞に名前だけ載ったが、建国大学合格者は新聞に写真付きで名前が載ったそうです。

 現代で言えば、日本人がハーバード大学へ現役首席で合格したようなものでしょう。

    建国大学はスーパーエリートを集めた大学だったのです。

 

 私が曹洞宗宗務庁の布教師養成所に入所したとき、主任講師であった北海道の島崎光雄老師が、自分も建国大学に進みたかったが行けなかったと話された。

 

 だから大変な秀才だったということが良く解ったのです。

 

 惜しむらくは、その頭脳を何故長男の私が受け継げなかったのでしょうか。                  明日へ続く

建国大学生…こんな感じでしょうか

◎板橋興宗禅師を偲ぶ ③

                                   R2/8/31                   

 

 それから2・3年後だったと思う。

  第二教区護持会が一泊の研修会で、御誕生寺に拝登することになった。

 

 板橋禅師が永平寺と並び両大本山の一方の雄である總持寺の貫首を辞して、福井県武生市(現在は越前市)にある瑩山禅師様の御誕生寺を再興して、修行道場として雲水の育成に当たられることとなったが、宗門僧侶は驚いたはずです。

 

 何故なら、大本山總持寺の貫首といえば、宗門のトップに君臨し、それ以上求むることは何もないはずだ、と誰もが思っていたのにあっさりとその地位を投げ出し、地方僧堂に下野するという前代未聞の行動に皆あ然としたものです。

 

 雲水の育成の道場ですが、何故か猫寺と呼ばれる程の野良猫を飼って、山内至る所猫だらけでありました。

 拝登行事が終了し、帰路のバスに乗車直前、お見送りに出られた禅師様に私は近づき、「先般、島根県第二宗務所の禅を聞く会で司会をした教化主事です」とお話申し上げたら、「オー、あの時のあんたか」と覚えてくださっていました。

 ツーショットを希望すると「ウン、いいよ」と快く受けてくださったのがこの写真なのです。

 恐れ多く誰も近寄れないお方とツーショットができた方はそんなにいらっしゃらないと思います。

 

 この写真は、私の一番の宝物になりました。

 

覚えてくださっていました
宝物の一枚

 
  翌日、県民会館、檀信徒研修会「禅を聞く会」当日、教化主事の私が司会だった。
 
 開始10分前に禅師様が司会者を呼んでおられるとのことで、禅師様の控え室へ急いでお邪魔した。
 すると、とんでもないことをおっしゃったのです。
 
 「私の講演は1時間半となっているが、今日は50分くらいで終わるつもりだ、その後は質問を受け付けてそれに答えていくスタイルにしよう。 
 その会場の質問が途切れたら司会者さん、あなたが質問をしてください。
 そのあなたの質問の内容によって、残りの30分が盛り上がるか、そこでプツンと終わってしまうかが決まります。
 すべてはあなたの質問の内容次第です。」
 
 何ということでしょう。
 さらっと司会をして終わりだと思っていた私は、目の前が真っ暗になった。
 ものすごいプレッシャーを背負う羽目になったのです。
 
 そして仰っていたように、講演は50分で終わり、質問の時間が始まったのだが、会場から二人の方が簡単な質問をされて、5分くらいで終わってしまった。
 
 とうとう35分を残して私が質問する番となってしまった。
 
 私は本尊称名について質問いたしました、「曹洞宗は南無釈迦牟尼仏とお唱えするのですが、禅師様はどなたかとの会談の中で、『ナンマンダブ』の方が日本人の心の奥底に染みついているのだと仰いました」
 
 その質問が終わるか終わらないうちに、怒濤のごとく禅師様がしゃべり続けられました。  そして35分を超えても延々と語り続けられ、帰りの列車の時間に間に合わなくなりそうになったので、催促しなければ終わらないほど盛り上がっていただいた。
最後は、「ナンマンダブ」は私個人の信仰である、と締められた。

私の宝物写真です

◎板橋興宗禅師を偲ぶ

                           R2/8/29

 

 本年7月5日、大本山総持寺元貫首、越前市(武生市)お誕生寺 住職、板橋興宗禅師が遷化された。

 

 この禅師様には、参った事件がありました。

 私が宗務所の教化主事をしていたとき、檀信徒研修会で講師として板橋禅師様をお呼びいたしました。

 

 切符と宿の手配を済ませ、いよいよご到着が迫り、宗務所長老師と松江駅の降車ホームで待っていました。

 ところが、その指定した列車から降りてこられなかったのです。

 翌日は県民会館で、研修会の講師をしていただかなくてはならないのに、本人が指定の列車に乗っておられないという事態に、所長老師と蒼くなって探すことになった。

 お誕生寺に連絡したらとっくにお出かけになりましたとのこと。

 列車を間違えられたかもしれないと、駅近くのホテルに電話をかけまくったら、やはり駅前のビジネスホテルにいらっしゃいました。

 しかもすでに無料夕食のカレーライスも食べておいでになりました。

 

 急いでお宿を変更、予定していた皆美館の特別室に移っていただいた。

 所長老師と胸をなで下ろした次第でした。

 

 後で聞いたら、方々で同じような悪戯をやっていらっしゃったことが解りました。

 人の慌てぶりを喜ぶという茶目っ気では済まないような、困った禅寺様ではありました。 

禅師様とツーショット
御誕生寺にて

                                 R2/8/28                 
 
  以前、宍道町仏教会の研修会で、仏像専門講師の先生に対して質問をしたことがある。
 
 それは全国的に数例あるのですが、阿弥陀様の仏像の中に歯を強調した「歯吹き阿弥陀如来」という存在であります。
 それは教区寺院の中にもあります。
 
 私は不思議でならなかった。
 その阿弥陀像を造った信仰深い作者が、歯を見せているからと言って歯を強調したくて造ったとは到底思えなかった。
 
 そこで質問した、「阿弥陀像が、信仰に全く関係ない口を開けているからと言って歯に焦点を当て、それが作者の思いと一致するのだろうか?
その解釈って間違っていないだろうか?」
  
 阿弥陀如来様は確かに仏頂面と言われる容顔が一般的でそのように思い込みがちですが、阿弥陀如来様の働き、特に現在のお働きは何かといえば、それはお浄土での説法なのです。
 つまり口を開けた阿弥陀様というのは、現在お浄土で説法されている説法阿弥陀如来様のことではないだろうか。
 
 お浄土での阿弥陀様は、私のレベルに併せて、私だけのために有り難く説法して下さっている……そこを意識し、強調して造られたものではないだろうか。
 
 その仏像を造った作者は、ヤレヤレ信仰とは全く関係ない、何故「歯吹き」なんだよと、あの世で残念に思って憤慨しておられるのではないかと、私は想像しています。
 
 その講師さんは「それは検証してみないとわからない」とおっしゃったのですが、果たしてどんな検証方法があるのやら。
 

仏頂面の阿弥陀様

 ◎北条時頼の地獄

                            R2/8/27

 

 37年前に発刊された山折哲雄氏の「神と仏」……日本人の宗教観を読んだ。 

 弘長寺開基(弘長寺院殿満資道圓大居士)は、8年前、島大名誉教授の井上先生(中世史)に同行を依頼、出雲地区地頭の成田氏の菩提寺(埼玉県熊谷市龍淵寺)を訪れた時、先生の慧眼で満資(みつすけ)は出雲に来るまでは「成田光助」であることが解った。

 その光助が藤原満資と名前を変えて地頭としてこの出雲の地へ赴任、弘長寺を建てる時、主君:北条時頼の菩提を弔うためにこの弘長寺を建てたと自筆文書に記している。

 

 その北条時頼は、20歳にて執権職を得たのだが、同族の名越氏、三浦氏、千葉氏を撃ったのです。

 若くして執権を手にする代償として余多の同族を殺戮した、その怨念に怯え続け、30歳で出家し全国行脚をしている。

 

 建長寺を建立し、開山を、たまたま鎌倉下向していた曹洞宗の道元禅師に依頼するも断られる。

 道元様を呼んだのも、建長寺建立も、それは全て祟りを鎮めるためでありました。

 

 時頼の菩提寺、鎌倉建長寺を先年拝登したが、建長寺境内には時頼の墓が不明であり、末寺の明月院(あじさい寺で有名)に墓所が存在した。

 弘長寺報に、その時耳にした建長寺境内のある場所を、墓所の可能性として推測で記したら、明月院のご住職にきつく叱責を受けた。

 「まだ学術的に明確になっていないことを軽々に書いてもらっては困る。」

 

 山折氏の著書により、当山開基様の主君の怨霊を鎮める生涯が解り、想像とは全く違う時頼公の意外な思いがひしひしと伝わってまいりました。

鎌倉建長寺様拝登

◎大酒飲みのお坊さんの話

                                   R2/8/26 

 

 実は私の父親の話です。

 中学校の英語教師をしながらお坊さんをするという、典型的な二足のワラジでした。

 無類のお酒好きで、毎晩の様に泥酔しての帰宅である。                           

 母はいつも泣いていた。

 「あなたはあんな大酒飲みになったら駄目だよ」が口癖だった。

 だから父親が反面教師であったのです。

 

 田舎の村だから、飲み屋が沢山あるわけではないから、中学校の宿直室が酒盛りの場だったのです。

 そこで麻雀しながら大酒を食らっていたのです。

 多分その宿直室は昼間でも酒の匂いがプンプンしていたと思います

 

 日曜日は、大体大酒が待っています。

 大酒が飲めるご法事があるのです。

 父は般若心経と舎利礼文という超短いお経でご法事を終了したそうだ、全部で15分足らずです。

 必ず聞かれたそうだ、「もう終わりましたか?」「終わったよ」

 「何でそんなに早いのですか?」

という問いに{早く飲みたいから}

 村の役場が夕方5時にサイレンが鳴る、それまでは絶対に腰を上げない困ったお坊さんだった。

 

 それで通ったのですから、スゴイ時代だったんですね。

もっと飲ませろー!

◎安倍首相が連続政権歴代1位

                                         R2/8/25

 

  これだけ嘘つき・言い訳内閣で長期政権となったのは、民主党政権の悪政ダメージが、国民の脳裏に焼き付いているからだと思います。

  

  つまり今の政権に変わる政党勢力が見当たらないので、仕方なしの政権なのです。

  「まあ、民主党政権よりはマシか」と思えて、その周りの運のよさで最長政権が実現したのであって、「素晴らしい首相」だったからではないのです。

  

  色々な組織でも政権が長いと、何を言っても、何をしても許されるというという誤った観念に支配されるものだということが最近よく解りました。  

 

   ある組織の名誉職会長に「長すぎる」と会員は思いつつも、声の大きさと顔の迫力で誰も猫の首に鈴を付けるものがいない。

 あの迫力で恫喝されれば、何も言えなくなるのでしょう。

 その会長が変わられたそうで、会員さんは胸をなでおろしたとの声が伝わってきた。

 

 そういう方は「引き際の美学」という言葉は知っていても、自分には関係ないと思っていらっしゃるのかもしれない、私も気をつけなくては。

何とか逃れきれたぞ

◎やはり、お不動様の法力はすごかったのです

              R2/8/24

 

  今年7月15日の江の川氾濫洪水災害の日、遠く離れた我が弘長寺境内の駐車場の山側が崩れました。 

 お盆中忙しかったので、中々調査をする気にもならなかったのですが、崩れた土砂の下に弘法大師様八十八ヶ所の尊像数体が埋まっている可能性が高かったのです。

 

 本日意を決して、調査いたしましたら、崩れ落ちた左側が八十四番、崩れ落ちた右側が八十三番でした。

 つまり八十八ヶ所のお大師様の尊像には全く損傷が無かったのです。

 思わず手を合わせました。

  これは昨年、お不動様を再建立させていただいた功徳ではあるまいかと思いました。

 

 82番と83番は隣り合わせで存在しているのに、83番と84番は12メートルも離れています。

 その10メートルの幅の分だけ、83番と84番の間に、ギリギリで土砂崩れです。

 奇跡もいいところです、お不動様の法力をまざまざと見せていただきました。

我が法力を見たか!

                                              R2/8/23
 
  今に始まったことではありませんが、仏教界って極めて世間に対する発言に乏しいと思います。
 如何に正しく生きるかを、お釈迦様が八正道で示されています。
 社会世相・政治・経済等に対して、正しい言動・姿勢に対する仏教的発言など殆ど見当たりません。
 
 曹洞宗でいえば、年初に管長禅師様のご挨拶が大型ポスターで送られてきますので、掲示板に貼り付けています。
 これを見る人は最初は結構いたと思うのですが、マンネリ内容で、最近はチラ見程度ではないでしょうか。
 
 時宜を得たタイミングで、直葬に対する見解などをポスターにすべきです。
 何にも発信しないから、都会では5軒に1軒が直葬となっていますが、「そんなことは人間のすることではない」と何故発信できないのだろうか。
 
 曹洞宗には広報官(報道官)という役割を持つ方はいないのでしょうか。
 発信力が弱いので、世間から注目も全く集めていないと思います。
 
 仏教の側面から世間に対する発信内容は沢山あります、人権・平和・環境をスローガンに掲げているなら、何故北朝鮮や中国の人権、コロナ感染に関する人権に対して発言がないのでしょうか。
 また核戦争が身近に迫っている北朝鮮や米・中に対して、或いは尖閣を含めた中国の覇権主義に対して発信する言葉がないのでしょうか。
 
 あるいは地球の温度が上昇して、世界で異常気象による洪水・河川の氾濫等、環境問題を過小評価したトランプ大統領に対して、発信する言葉はないのでしょうか。
 
 オーム真理教の麻原に、当時優秀な学生たちが何故心酔し信仰したかというと、いつ疑問をぶつけても、麻原が納得できる回答を即答したからだと言われている。
 
 新聞の一面を使ってもよいではありませんか、時宜を得て社会に発信できる組織になっていただきたい。

直葬

◎ワクチンに過大な期待はしない方がいいって

                           本当ですか?

                                                               R2/8/22

 

 ワクチンさえ出来ればと思っていたのだが、これを聞いてガクッときた。

 医療従事者や老人から先に打つというのは有り難いのだが、ワクチンを打っても、重症化になるのは防ぐのだが、それも特に若い人に対してです。

 ワクチンを売ったからコロナに感染しないわけではなく、コロナにかかるのは今まで通りだというのです。

 

 すると老人は、ワクチンが出来ようが出来まいが、どちらにせよ未来は暗いということなのだろうか。(元々未来は非常に短いのではあるが)

 政府の尾見医師は、第二波のピークは過ぎたと言うが、これから第三波、第四派とやって来た時には、ワクチンができていても、若者には有効でも年寄りは今まで通りの三密とマスクの注意が必要な訳だ。

 年寄りは旅行にも行けないし、かかったら最後、覚悟を決めなければならない。

 とすると、頼りになるのは、治療薬の開発を待つだけ、ということになるのだろうか。

 しかしそれも年寄りにはあまり効果無しとなれば、現在のように感染を避ける日常生活を続けるしかないのかも知れない。

 

 治療薬を開発しているという話も聞かないし、やはり我々老人にはお先真っ暗なことだけなのかもしれない。

 

 

老人にも有効なワクチンを!

◎本日は72回目の誕生日です

                                       R2/8/21               

 

  私のような親不孝者で至らぬ人間は、おそらく50歳くらいで死ぬであろうと思っていたが、72歳まで来てしまった。 

 何故親不孝者かですって?

 

 それは、長男でありながらお寺がイヤで飛び出し、弟が実家のお寺を継ぎ、私は36歳でやっとこの弘長寺へ養子・弟子で入ったことからも安易に想像がつきますでしょう 

 72歳というのは、実父の遷化した歳と同じなのです。

 

 孔子が述べています。

  「40歳で 心に惑いがなくなった。 50歳で 天の使命を知った。 60歳では 耳にどんな話が聞こえても動揺したり 腹が立つことは なくなった。70歳になると 自分のすべての行動は 道徳の規範 きはん から 外れることはなくなった」

 大聖人と比較など出来ないことは解っていますが、道徳規範から外れっぱなしであまりの違いにため息がでます。

 

  しかし、本日夕方子供や孫が焼き肉パーティを開いてくれるそうで、楽しみです。

  何とか、いいおじいちゃんでいられて幸せです。

孔子です

 

◎私も熱中症重篤体験者です

            R2/8/20

 10年以上前だったと思います。

 暑い夏でした、丁度お施食会の8月7日、当日でなければできない作業があり、前日の作業で疲れ気味なのに輪をかけて朝の準備と、施食会儀式の導師を致しましたので、疲れはピークになりました。

 まだ、副住職もいない頃で、家内もまだ亡くなっていませんでした。

 

 式後、13人の宗侶の相手と、大田市からお願いした説教師さんの相手をしている時異変が起きたのです。

 身体が思うように動かせなくなりました。

 そして身体があちこちでけいれんを起こしはじめました。

 それも体験したことのない、内蔵や筋肉のけいれんでした。

 説教師さんとお話している最中に、けいれんの痛みに堪える「ウーン」と唸る声を発していました。 

 慌てて、家内と娘がやってきました。

 娘が「お父さんそれは熱中症だよ」

 急いで娘が水と梅干しを持ってきました。

 それを飲んだ途端、2分後には何も無かったかのようにケロリと直ってしまいました。

 その時は、今ほど熱中症という病が知れ渡っていませんでした。

 もちろん私も解りませんでした。

 熱射病という言葉は知っていましたが、当然外で太陽の熱射を浴びることで、屋内には関係ないことと思っていましたから、まさかの出来事でした。

 知識を知ると知らないとでは、死ぬか生きるかの大変な差があることを自覚致しました。

 

 

   

熱中症は怖い

◎棚経、角付けは早いけど暑さは地獄です

                R12/8/14

 

 ハガキで前もって連絡をしていたので、お檀家様の対応は誠にスムーズで良かったのですが、中に入れない分とにかく暑い、コウモリ傘を日傘代わりにさしていたのですがとにかく暑い。

 午前中は初盆のお宅へ伺ったので、祭壇まで上がって、フェイスシールドで読経、クーラー扇風機バッチリで快適でしたが、午後からは再び門付けを致しました。

 丁度2時からの読経は、頭がボーッとして倒れそうになりました。

 体調も崩れ、夕方帰ってからも何もする気になれない、勿論ホームページなどタッチできない状態になりました。 そこで暫くお休みします。

 

立ったまま外から祭壇に向かって読経

 
           R2/8/13
 
 さて、13日お盆の一大行事である棚経が始まりました。
 
 事前にハガキで案内していましたので、お檀家様の対応もスムーズでした。
 
  昨年までのように宅に上がって、ご丁寧な挨拶を受け、読経が終わって飲み物がセットしてあったりすると、一軒当たりかなりの時間を消耗するのですが、何と早い、早い!
 
 当山では、県外遠方を除いておよそ300軒を八日間、住職と副住職二人で 廻り切ろうとしておりますが、この分ではそんなにかからずに廻れそうです。
 
 和名佐・玉湯町・松江市や東出雲町を廻ったのですが、ナビがありますので本当に助かります。
 新しいお宅で記憶が曖昧でも、住所か電話番号を打ち込めば、ナビが正確にそのお宅まで連れて行ってくれます。
 
 便利な世の中です。

いつものようにはできませんが

◎秋葉三尺棒大権現供養祭厳修

                                                R2/8/10

 

    今日、本来は弘長寺地区自治会と合同で夏祭りを開催予定だったのですが、コロナ禍で中止となりました。

 

 その夏祭りのイベントとして、いつもは8月31日に供養祭を行っている秋葉三尺棒大権現供養祭を夏祭りに合わせ、期日を本日に移動させたのだが、夏祭りが中止となったため、秋葉供養だけを修行することとなった。

 

 炎天下を避け、夕方5時から開始という設定でしたけれども、真っ昼間よりはましでしたが、やはり暑いことには変わりがありませんでした。

 10人ほどが集まられて、準備片付け等、お手伝いをしていただきました。

  

   是非来年は、お祭りに合わせて盛大な供養祭が出来ることを望んでいます。

実はその正体、
カラス天狗だったのです

                                                              R2/8/11
 
  やはり、コロナの威力は強烈です。
 
 山陰中央紙面トップで大々的に発表された。
 
 いっぺんに全国規模で有名になってしまいました。
 
 8月8日着のハガキで、「今年の棚経は宅の中へ入らずに、祭壇に向かって外から門付けで読経します」と案内を出したのがドンピシャで当たりました。
 
 棚経対策では宗務所内でも、色々なやり方があります。
 
 勿論、棚経なんてしたこともない寺院や、お盆にお檀家様を一度に招集し、本堂で一回読経して終わりの寺院もあります。(簡単でいいのですが、それは棚経とは言えないと思います。)
 
 やはり、一年に一度はお檀家様の仏壇・精霊棚に手を合わせて読経するのが本来の棚経でございます。
 
 炎天下を歩き、僧侶が修行する姿をお見せするのが、僧侶とお檀家様両方にとっても本来の功徳が生まれるものと信じています。
 
 今年は宅へ上がり込むことはできませんが、最低限の修行をしたいと思っています。

サッカーの名門校だったが…

 
  今日は昨日厳修した施食会にて供養したお塔婆を取りに、お檀家様がお寺に参ってこられました。
 
 コロナ対策で、個別に、密にならないように上手にお詣りいただきました。
 塔婆を取りに来る期間は三日間なので、お檀家様もゆとりをもってお見えになりました。
 
 施食(餓鬼)の仕組みも素晴らしいと思います。
 
 餓鬼道に落ちたりしている恵まれない精霊たちに食を施して、その功徳を我が家の先祖 代々の精霊に回向して功徳を授かる仕組みです。
 
 施食棚に餓鬼飯を置き、普通の法要には無い供え物や雰囲気を醸し出し、教区の僧侶が集まって行ずる施食会は、僧侶の目から見ても迫力あり、圧巻です。
 
 今年はコロナでこのような対策をしましたが、昨年まで37年間毎年、150人近く修行されます。
 
 だから当山のお檀家様は本当に信仰深い方たちが多いと思っています。

これが餓鬼だ

◎無事に施食会を厳修

 本日コロナ対策での施食会を厳修できました。

 お檀家様なしでの施食会は初めての事です。

 野球の観客無しの試合と変わらないのではないかと思います。

 お檀家様には、明日から3日間、朝8時から夕方6時まで、個別にお塔婆を取りに来ていただきます。

 今年は、準備が中々はかどらずに苦労しました。

 当日の朝8時ごろ、何とか整った時にはホッとしました。

 今回はビデオを撮影し、式を見たいとおっしゃる方のために、DVD化してさしあげることと、テレビ会議で有名

 な「ZOOM」を使って初試行をして、直前まで音響設定ができずヒヤヒヤしましたが、何とか成功致しました。

 

お詣りのお檀家様0は初めてです

◎悟りについて

         R2/8/6

お釈迦様は35歳の時、一週間の坐禅でお悟りを得られたが,その悟る方法や内容は明らかにされていない。

 悟りは真理を明らかにすることであるが、誰もが悟らねばならぬというものではない、私(釈迦)の悟りの方法など、私にしか出来ない超難解な技術であった。

 その私が人類の代表として悟り、真理を得て、その真理に従って法を説いているのだから私の説く教えに従いさえすれば良いのに、そして絶対不可能なのに、何故私が悟った様に再び悟り(真理)の瞬間を求めようとするのか 。

 私の説いた法そのものがさとりであり、真理なのだ。

 悟りへの道程も解らず、もし悟ったなどという者がいたら、絶対に私と同じ悟りではないはずだ。

 つまりいくら坐禅しても、ただの悟り真似坐禅にすぎないのだ。

 坐禅によって、自分を見つめ、心を落ち着かせたり、物事を深く考える坐禅を否定するものではないが、坐禅によって悟りを得ようなどということは考えない方が良い。

 

 私と同じように坐禅によって悟ろうとするのは、100%無理なことであるし、必要のないことだ。

 すでに真理を私が説法で表しているのに、それでは不満ということなのか。

 お釈迦様はそんな想いで見つめていらっしゃることでしょう。

ウ~ン、悟りはまだか

◎久々のビッグニュースでした

                                          R2/8/5                         

 

 昼テレビを見ていたら、大阪府の吉村知事が「ウソのようなホントの話」としてうがい薬(ポピドンヨード)がコロナ重症化を止める効果があるとの衝撃発表がありました。

 

 コロナウィルスは唾液に菌が増殖する、したがってうがい液のポピドンヨード液のヨードが殺菌力が強いので、舌廻りと喉をうがいすれば重症化を防げるとのこと。

 つまり外出から帰宅してすぐポピドンヨードでうがいをすれば、感染しづらいのではないかという訳だ。

 予防効果は解らないが、それも充分考えられるとのこと。

 強い味方が現れた。

 これはすぐに買いに行かないと無くなると思ったのですが、興味津々だったので、ついついテレビを見続けていた。

 ハッと我に返り、2、30分 遅れて出発、松江と出雲はおそらく完売だと思ったので、斐川に向けて出かけた。

 

 すると一軒目と二軒目ドラッグストアーはすでに完売でいつ入荷出来るか解らないとのこと。

 諦め気分で3軒めに入ったら、大瓶のうがい薬が一個だけ残っていた。

 本当にラッキーでした、何か宝物を拾ったような気になりました。

 子供や孫に分けてやります。

 

 やっぱり諦めてはいけないと思いました。

 私は良かったのですが、おそらく全国のうがい薬が店頭から消えていると思います。

ヨードのうがいが大切だった

                                                                      R2/8/4
 
 
      インドは、日本とは環境も、当時の風習も違えば、国民性も違います。
 
 インドでは小乗仏教(上座部仏教)と大乗仏教に分かれました。
 小乗仏教は自分が瞑想により、自分で悟ることを目指した仏教です。
 自分が悟るまでは他を救うことはしませんでした。
 
 ただお釈迦様は、瞑想の仕方、瞑想の中身、悟り方・悟りの内容(何が悟りか)については何も語っておられませんのに、どうして悟りや悟る方法が解ったんでしょうね。
 全て自己満足の世界ではないでしょうか。
 
 それは、中国から日本に渡っても、悟りへの憧れは無くなりませんでした。
 悟り至上主義から禅宗も生まれています。
 
 お釈迦様の教えの真意はそうではないと、それに対抗して出て来た仏教が大乗仏教です。
 そしてそれが中国に伝わると、中国人独自の解釈で大きく変化し、大乗仏教の中でいくつかの宗派に分かれていくのです。
 
 だから日本の仏教は中国仏教の影響を沢山受けています。
 
 中国では廃仏毀釈もありました、仏教が受難した時期も何回かあります。
 仏教も種々の変化・体験を経ながら日本に入り、日本でも時代背景によりまた変化をしていったのです。  続く
 

仏教伝来

                                                                   R2/8/3
 
 コロナ感染拡大は目を見張るほど強烈だ。
 特に東京を中心とした関東エリアは酷いもので、特に東京は病床ホテルも満室、自宅療養も増え、同時に家族クラスターも増えています。
 
 家族が感染した家の対応をテレビで見た。
 
 家族がバラバラで家族崩壊が起きている、隣近所の目も怖い、子供たちは学校で「ばい菌」呼ばわりされされるのが怖くて家にいるしかない。
    でも同じ家の中で、いつ感染するか分からない。
 
 悲惨な状況だ。
 
 若い人でも、健康な人ばかりではないので重症者はいます、高熱で呼吸がしづらく、まさに死線をさまようような画像も見ました。
 
 全国でも毎日感染者数が激増しています。
 
 これだけの感染力を持つコロナに対して、政府は「お年寄りへの感染は気がかりだが、安全対策に留意し、慎重に気をつければ、お盆の帰省も家族旅行も大丈夫です」という。
 なんという無責任さであろうか。 
 
  沖縄では医療体制ひっ迫とのことで、県独自の「非常用事態宣言」を出した。
 
 国の施策に惑わされず、県独自の対応をどんどん進めるべきだし、個人も非常事態宣言が出ていると思って行動することが大切です。

こうはなりたくない

◎芥川賞作家、立原正秋氏の随筆集から

                                                R2/8/2                                              

  故立原正秋氏の文は読みやすく美麗です、真似をしようにも文章能力が追っつかないので諦めました。

   立原氏が永平寺の拝観をした文が載っていたのを思い出しました。

 

 突然、雲水が怒鳴りつけてきた、「山内は坐禅修行中なので静かにしろ」

 そんなに大声ではないのに、永平寺の警察官の如き態度です。

    参拝客を怒鳴る自分の声の大きさはさておきである。

 

 立原氏は、「本当に修行の為の静寂が必要なら、参拝客を全てシャットアウトすべきだ。」

 拝観料を取っていながら、参拝客を怒鳴りつける法はないのではないか。

 

 怒鳴りつけるより、最初に受付でよくよく言い聞かせるべきである、そんな文だったように思う。

 

 神聖な場所であるが故に、その神聖さを壊すような仕組み・態度に一喝でありました。

永平寺の修行僧

◎そりゃ、自明の理ですよ

                                  R2/8/1

 

 一日の感染者は全国で1,500人、コロナ感染拡大は留まることをしらない。

 感染が収まりきっていないのに、GO TO トラベルで県をまたいで往来可とした政府の責任は重い。

 

 政府直属の専門家は政府に対して緊急対策を提言しているのに、政府は「自治体の仕事」と言わんばかりに国会も開かず、未だに知らん顔だ。

 アメリカ・ブラジルを見よ、それに比すれば何てことはない、と言いたいんでしょうね。

 つまり、経済効果の代償で、多少の感染拡大はしようがないと踏んでいるのです。

 

 地方だって一時は久しぶりの観光客で賑わいはあっても、結局は感染拡大で、自分の首を絞める結果で、窮地に追い込まれています。

 

 別の意味で、岩手でも遂に感染者が出たことに安堵しています。

 島根・鳥取でもちらほら感染者出現、ウカウカしていられません。

 

 業界から攻められての緩和策だったのは理解できますが、政府の中に、「まだ早い」と諫める声はなかったのでしょうか。

 

 今回の第2波は政府の無策によって、まだまだ拡大すること必至です。

 

 政府が頼りにならないとなれば、自治体がどんどん緊急事態宣言を出して、自らを守る手立てをするしかありません。

 

改めて基本に帰ろう

◎時には鏡を覗いてみる

                               R2/7/31              

 

 昔、ある本で読みました。

 確か博物館ではなかったかと思います。

 

 箱が置かれた机の説明文には、「世界で一番残酷で、凶暴な生物」と書かれていました。 

 箱の蓋をおそるおそる開けてみると、鏡が一つ入っている。

 なるほど、「世界で一番残酷で、凶暴な生物」というのは、「人間さん、あなただよ」という訳なのです。

 

 そりゃスーパーでは、お肉がパックで売られているけど、牛が、豚が、鶏が殺されているということです。

 

 お魚だって、お刺身や、焼き魚となって食べるのには、何とも思いませんが、主婦たちが、自分で開いて、内臓を取りだした調理の後では魚の味が落ちると聞きます。

 

 私たちの身体を保つ為には、お肉や魚ははぜったい必要です。

 お肉を食べる時に、動物が殺される場面などを思い浮かべる方はいないと思うのですが、でも、せめて、「いただきます」と手を合わせる位はしてもバチは当たらないと思います。

 

おいしい肉・魚ではあるが

◎この人は本当に視線を国民に向けているのだろうか

                                                                 R2/7/30                   

 

 不人気マスクの象徴であった、国民に2枚づつ配布した安倍総理のマスク。

 もう忘れかけていたんだけど、二度目の配布ときいて、開いた口がふさがらなかった。

 

 鼻と顎を同時に覆い隠すことのできない小ささと、虫が入っていたりする不良品の多さで、このマスクが不人気ということは、総理自身もよく解っているのだろうが、配布せざるを得ない理由が総理には存在するのだろう。

 

 そこにはマスク業者との癒着や、袖の下裏取引の匂いがプンプンする。

 

 だから国民がどう思おうが、どうしてもこの事業を完璧に遂行しなければならなかったのだろう。

 

 安心できるマスクが店舗に充分ある現在、送り先の介護者や保育者が、たとえ政府から送られてもその小さいマスクは絶対使わないと答えているのに、政府は有意義な政策だと無理矢理展開するつもりです。

 同じ税金を使うのであれば、何故医療従事者に対して、不足している防護服や特殊マスクの方に使わないのか、不思議でならない。

 

 支持率は落ちるし、コロナに加えて災害も多発、先行きは不透明だし、総理もやぶれかぶれなのでしょう。

 最近、顔が見えなくなったので、西村さんが総理かと勘違いしてしまいます。

                                                         R2/7/29
 
 コロナ対策で、窮地に陥っている劇団四季の現状が映された。
 浅利慶太氏を亡くし、その意志を受け継いで、コロナのため公演が出来ずとも、絶対潰さないぞとの強い思いで、赤字経営で苦悩する現況を知りました。
 
    若い頃劇団四季にハマったことがある。
    シェークスピア「ベニスの商人」で浅利マジックの虜になってしまった。
 
 シャイロックという金貸しがアントニオにお金を貸したが、船の難破によって返せなくなってしまった。(後で実は難破せず無事と言うことが判明)
 
 お金を貸すときの契約は、「返せないときは肉1ポンドを切り取ることができる」という契約でした。
 
 金貸しシャイロックは提訴し、裁判官は「肉を切り取っても良いが、血は一滴も流してはならぬ」と判決を下す。
 
 つまり物語では、肉を切るなどという残酷な金貸しに対し、大岡越前の守ならぬ名裁判官が金貸しを困らせ、痛めつける設定なのだ。
 
 それを浅利慶太氏は、「金貸しが、金を返せ、出来ぬなら肉1ポンドをよこせというのは、キチンと契約を交わしているのならそれはそれで極めて正当だ」という視点での衝撃的な演出でありました。
 
 その演出を見たとたん、観劇マニアにハマりこんでしまいました。

ベニスの商人

◎お経には、亡くなった人への説法は一つもない

                                                               R2/7/28

 「今年は父の・・回忌の法事ですので読経をお願いします」お檀家様からはこういう具合に頼まれます。

 お釈迦様の説法がお経になっています。

 しかし考えて見れば、お釈迦様が、亡くなった人に対して説法された事は一度もありません。

 全ての生きている人に対して、「この世の中はこうなっているのだから、こういう風に逆に考えたら、悲しい事もそんなに悲しく思うことでもないんだよ」とか、「人生苦しいことがいっぱいあるけど、苦しさの中で人格を磨くために、仏様がわざと苦しさを用意されているんだよ」

 と、対象は死者ではなく、生者に向けての説法が経典の中身となっているのです。

 すると、私たちの亡くなった人(ホトケ)のためのお経ではなく、生者(今、生きている私)がその教えを納得できるように、読経の後で、本来はお坊さんが解りやすく説かなければならないのです。

 私ども僧侶は、「お経拝み屋さん」になってはいけないのです。

 

 すると、僧侶も、法事を頼む方も、一番肝心なことをパスして「読経してもらったから、これで父も成仏できるだろう」とそれだけを納得し、全く勘違いして法要を行っている事になります。

 本当は法要を通して、自らに対して、お経が叫んでいる内容(命をもらっている私の生き方)を理解・納得し、教えの如く生きようと誓うのが、本来の法要の意義なのです。

 だから僧侶の側が、意識革命をして、もっと法話に力を入れなければなりません。

一体誰のための法要?

                                  R2/7/27          
 
 今日のダイアリーが100話という一つの区切りに到達しました。
 自分の中で「おめでとう」と祝いたいと思います。
 
 ほんまにこんなこと出来るんだろうかと、おっかなびっくりで始めたのですが、振り返ればもう100話ですか。
 
 そりゃ100も連日書けば、「オッ」と目を見張るような文もあれば、「何じゃこれ」とガッカリするような文もたくさんあります。
 
 あっという間に仕上がることもあれば、一晩中考えても文がまとまらないこともしばしばです。
 
 でも文を書くという技術が思っていたよりも難しいと思い知らされました。
 
 ただダラダラ書くのはできるんですが、なるべく短い文章で最後にピシッと締めなくてはならない、と思うと、ここでこの言葉を使うことが果たして的確なのか、とか、その言葉がじゃまをして締められないということも起きてきます。
 
 締め(落語で言えばオチ)がないと、当然ながら文は締まりません。
 
 読んでいる方が、簡単に締めを想像出来るよりも、含みを加えて数秒後に「なるほど」と思えるような締めを理想としているのですが、なかなか思った通りにはいかず、考えているうちに睡魔の誘惑にオチてしまうのがオチなのです。

ウ~ン、次の文が出てこない

◎やはり中国でも、ものすごい洪水

                                                     R2/7/26

 

  日本だけかと思っていたら、中国でも大洪水が発生していた。

 

 危険水位に達して、ダムが放流された、日本とおなじように下流域の村が幾つも水没していた。

 

 ついこの間、文章を書いた桂林も例外ではなかった。

 水墨画どころではない、濁流暴れる川に変貌していた。

 

 当山も、水の犠牲になって駐車場が崩落で土砂災害となった。

 

 悲しい現実ではありますが、家を流されたり、家の中が土砂で充満して絶望の境地でおられる方のことを想えばまだましかもしれない。

 

 今年は台風が来ないのが不思議だけれども、八月頃まとめて、強烈な風速80メートルなんてのが毎週来たりしないですよね。

 

 今更ながらこの気象状況を作り出したのは一体誰なのかを思い起こそう。

中国でもダム放流が

                                                 R2/7/25                                          
 
  国会で主張された、東大・児玉教授のご意見は、驚くべきものだった。
 すぐに50万人の新宿区民全員をPCR検査しないと、八月は目を覆うばかりの光景になるとのこと。
 
 現在の感染拡大を見ていると可能性は高いように思える。
 
 小池知事は1日1万人を目指しているのだが、それでは間に合わないので、政府が主導すべきだと教授が主張された。
 
 ウィルスが進化して変化すれば、いくら現在ワクチン開発が進んでいようとも、せっかく完成したワクチンが効かないということも考えられるとか。
 
 武漢型から西欧型、東京型から埼玉型と変化しているらしいです。
  今日の中央新報「こだま欄」にも、全国で感染拡大しているのに、何故今、GO TOキャンペーンを推進するのかと、政府の姿勢を疑問視する声が載っていた。
 もっともなご意見です。

PCR検査

◎継続は力なり

                                  R2/7/24                                       

 

 お坊さんになってから、朝のお勤めをほぼ毎日続けて来た。

 若い頃は毎朝5時起きでしたが、いつの頃からか6時になり現在までその時間が定着している。 

 おかしなもので、たまに寝過ごして朝のお勤めが出来なかった時は、一日中なんとなく調子が悪いのです。

 そういう時には7時になろうが8時になろうが、ご本尊様に礼拝だけはするのだけれどなんとなく身体の動きが鈍く、運もついて来ないような気がするのです。

 

 朝のお勤めをする一番の御利益は、仏様に護られている想いと、お坊さんであるという自覚を保たれることと、お経を忘れないというこの三点だと思っています。

 お経は一度覚えたら絶対に忘れないというものではなく、読経の頻度が少なくなればやはり忘れて行くのです。

 

 読経はリズムで覚えこませてお唱えをするのですから、読経の頻度が少なくなれば、そのリズムを忘れて行くのだと思います。

 

 勉強だって、一夜漬けなんてその時だけで、一定期間過ぎればすぐに忘れてしまいますが、一日の中で、一番頭にスンナリ入って、覚えた事柄に持続力がつき、脳が活発に動くのはやはり早朝です。

 

 早朝の空気を吸い、目覚めの新鮮な脳をふんだんに使いこなすのが、身体にとってもリズムを刻み込むのにも最適なのだろうと思っています。

力がみなぎるし,
     リズムにも乗ってるぞ~!

 
  いよいよキャンペーンが始まった。
 めったにない四連休でしかも政府からお得な補助が出る。
 全国的に第二波の感染が広まっていることを思うと、うかうか旅行を満喫する気分にはなれないと思うのだが、破格にお得な補助をもらえるならば、少々の危険は覚悟の上で贅沢気分を味わいたいのかもしれない。
 
 例え当日、少々熱があり、気分が良くなく、味覚も臭覚も無くなろうとも、家族の喜んでいる姿をみれば、「今日は止めようか」なんて絶対に言えない。
 
  しかしよくよく考えればこのお得な補助は全て国民の税金なのだ。
 うがった見方をすれば、感染拡大の為に税金を使っていると思えるのは、うがった見方が過ぎるのであろうか。
 
  そりゃあ観光業、特に旅館経営には久しぶりの収入の機会で、これを見逃す手はありません。
 
 しかし、2週間後に果たしてどんな結果が現れているのやら、心配です。

行きは良い良い、帰りは……

◎昔の葬儀は必ず自宅でありました

                                           R2/7/22                            

 

 今は、JAや民間葬祭会館で行われる葬儀が殆どですが、昔は必ず自宅でありました。

 

 今は、仕上げはお弁当が殆どですが、昔は必ず仕上げの席に着きました。

 

 死場組のご婦人方の腕のふるいどころで、仕上げの料理は精進料理で、豆腐の入ったすまし汁に煮物、特に大きな油揚げが必ず入っていました。

 その油揚げの塩加減が地区によって皆違いました。

 

 悔やみを受ける場所が、違う家に設けてあればよいのですが、大抵が遺体が置いてある部屋と隣り合わせの次の部屋が当てられました。

 すると内諷経読経の最中に、悔やみ受けの挨拶とか全部聞こえてきます。

 

 台所のご婦人方も久しぶりに隣保が寄り合ったので、和気あいあいとなり、内諷経の葬儀中でも悲しい場であることをすっかり忘れ、かなり大きな笑い声が聞こえてくることもありました。

 あまりひどい時は注意をさせていただくこともしばしばでした。

 

 また、寄り方さんも少し離れた場所で集まり、葬儀中でも世間話がはじまり、どっと大笑いする声が聞こえたりしました。

 

 ついウッカリ葬儀という場を忘れて世間話に興じる気持ちも分からないのではないのですが、よく注意させていただきました。

 

 困るのは、役僧で呼んだ他寺の住職さんが、悲しい場なのに面白話をされ、悲しい場なのに悲しい顔を作れない、むしろその話を思い出し、微笑んでしまうこともよくありました。

 誠に申し訳ないことでありました。

 

ここで思い出し笑いをしてはいけない

◎葬儀も変わり、墓事情も変わりました

                                               R2/7/21

 

 

  昔のお葬式は土葬なので大変でした。

 

 つまり遺体のままお墓に入れるので、結構穴掘りの1人当たりの遺体墓面積は大きかった。

 現在のようにドライアイスなどない時代は、日を置くほど匂いがすごかった。

 

 当時は隣保で死場組を作り、穴掘り役が当番で当たると、穴を掘るのも大変だったと思う。(私は体験していませんが)

  雨が続いて、湿った泥なら掘りやすかっただろうし、逆に天気が続いてカチンカチンに乾燥した泥など、 穴掘りも労力が半端ではなかったのではないでしょうか。

 夫婦墓なら二人分が入る相当深い穴を掘らねばならなかった。

 

 葬儀が終わると、即行列を作り、棺桶を担いでお墓に直行しなければならない。

 現在のように遺体を焼いて、即遺骨にするのであれば、49日まで、あるいはそれ以上遺骨を祭壇に飾っておくことも可能だけれど、昔はそうはいかなかったのです。

 

 土砂降りで雷雨の中でも、台風が来ていても、大雪で猛吹雪でも行列をやめる訳にはいかなかったのです。。

 特に長いくねくね道の急斜面で、大雪で滑り易い、危険な道をどうやって行列で登られたのでしょうか。

 多分滑落事故もあったのではないでしょうか。

 

 平成の初め頃まではまだ土葬が残っていました。

  私が体験したその最後の土葬が、普通に登るだけでも30分はかかる急なくねくね山道を、雪が10㎝ほど積もっていた中をどうやってのぼられたのでしょうか。

 

 そのお宅も、現在は家の近くで総廟です。

重労働でした

◎思い起こせば命拾いはまだまだある

                                               R2/7/20

 

 20代の頃でした、スキューバダイビングをしていました。

 

 式根島や真鶴の海岸へ仲間とよく出かけました。

 魚貝を捕りその場で調理、火をおこしてその場で食べる、アツアツの食材をフーフーしながら頂く、潮の匂いと味を満喫していました。

 

 海に潜ると別世界が拡がります。

 ゆらゆら海中を漂うと、まるで空を飛んでいるような錯覚に陥ります。

 岩穴に潜むタコや魚、特にウツボは初めてたべましたが、淡泊な味で美味しかったことを覚えています。

 

  確か真鶴だったと思いますが、ウェットスーツと肌の間にはほんの少量の水を入れていますのでそれが体温で暖まり、海水の温度には関係なく長時間潜ることができるのです。

 

  それはお風呂の中で長時間つかっているのと一緒で、確か1時間の酸素ボンベで40分を過ぎた頃だったのですが、突然身体に力が入らなくなったのです。

 入浴の際の「のぼせ」状態と同じです。

 

 頭がボーッとしてきてそのままでは、死へ一直線に向かうところでした。

  たまたま仲間の1人が目撃して、急いで海岸に戻り漁協に連絡、すぐに救助の船が来て助かったのです。

 

  意識を失いつつある中で、このまま死んだとしても、苦しくなくて、楽にいけそうだな、

 老衰で死ぬのはこれかなと思いました。

海の中は別世界

   船内での食事は食べられなかった
             R2/7/19
 
 桂林の川下りは、まるで水墨画の絵の中を歩くが如くで情緒たっぷりなのですが、11月だけはいけません。
  11月の桂林の川は乾期で少雨期なので、川に水がありません。
 
 その時期に10人のお坊さんの団体が川下りの船に乗りました。
 川の水が極端に浅いので、川底に船底がついて、なかなか脱出出来ない船もあったほどです。
 
 この時期でも一日数十隻の船が出ているとのことでした。 
 
 私もでしゃばりですから、聞かなくても良いことを、通訳さんに、つい質問してしまいました。
 
  川の水が少ないので、川の透明度は全くありません。
 
 「船のトイレの排水はどうなっていますか?」
 「はい、そのまま川に放流です」
 それは川の水が濃厚であることを意味しています。
 
  そして衝撃の一言。
  
  「料理の水などは川からくみ上げています。」
  
   考え込んでしまいました、そして遂に見てしまったのです。
   船尾で料理が作られていましたが、確かに川の水をくんで料理しているのです。
 熱処理だから何も心配いらないと言わんばかりに料理ができあがって行くのだが。
  
   そして料理が運ばれた食事に、皆さんはおいしそうに食していらっしゃったのですが、卵スープの黄色い黄身のヒラヒラを見た途端、私は全く食欲が失せました。
 

船が数十隻、数珠つなぎ状態です

◎怒ったらどうなるかわからぬ中国人

 

  平成初めの頃ですが、道元禅師が修行をされた中国の天童寺へ10人ほどのお坊さんの研修旅行に参加しました。 

  文化ショックというか、文明ショックというか、大変な衝撃を受けた。

 

 まず上海、交通の主体は自転車だった。

 朝の通勤ラッシュ、自転車の海の中を、車が警笛を鳴らしっぱなしにして、申し訳なさそうに自転車の間を進んでいる。

 信号があっても何の効果もない。

 

  さて、帰国の日、空港へ向かう時間が少し遅れて、通訳がバンの運転手さんに遅れている事情を話し、「少し急いでくれないか」と頼んだ。

 

 運転手さんは「ヨッシャー」とばかりに速度を上げたのだが、運悪く、すぐにスピード取り締まりに捕まってしまった。

 

 その後の運転手さんは、顔が閻魔大王のようになり、ちょっとしたカーブで横転しそうなほどの暴走を始めた。

 

 対向車の激しいクラクションに目を向けると、わたしどもの車がカーブで前の車を追い越して反対車線に入って、対向車の運転手の驚きと悲鳴が聞こえてきそうな顔がすれ違った。

 皆が、思わず「あーっ、ぶつかるっ」と顔を何度も覆ったほどの乱暴運転だった。

 

 まるでパトカーに追われている人質誘拐凶悪犯人の運転で、そりゃあめったに体験できるものではございません。

 貴重な体験といえばそうかもしれませんが、できれば絶対体験したくない体験でございました。

 

 空港では、呆然自失状態であったが、お陰で飛行機には余裕で間に合った。

  人間は、何でもないことで突然、命拾いをするものだと思いました。

オリャー、どかんかい!

◎「またコロナか」と言われそうだけど、

                                       やはりコロナです

                                                       R2/7/17                        

 

      先般、米子で感染者が出たのに、今度は出雲で発生。

 またよりによって発生源が、新宿の劇場クラスターでした。

 

  批判を恐れずに申し上げれば、この感染県立女子大生は決して悪くありません。

 県をまたいでの移動を許した政府の責任です。

 感染拡大のリスクを解っていながら、経済復興のため我慢出来ずに、コロナ感染自粛を         緩和した政府の責任だと思います。(もちろん政府の気持ちはよく解るのですが)

 

 感染したいと思ってその劇場に入った方などいません。

 たまたま運悪く政府の施策の犠牲になったのです。

  

 アメリカやブラジルを見れば解るように、コロナを軽視して経済復興に突き進む国がど     うなっているかというと、アメリカでは 一日の感染者数が約6万人という目も当てら    れない状態です。

 

 全国で6百人なんて、アメリカの6万人に比すれば0に等しいような数に思えますが、  そのまま米国方式で、経済復興だけを意識し過ぎて邁進すれば、あっ という間に膨な  感染者数になるでしょう。

 

 「GO to キャンペーン」は東京を除くことで決着したようです。

 昼間は一緒に仕事をしているのに、東京と生活圏を共にする近隣県はセ

 ーフで、東京だけを排除するなんておかしな話です。

 7/22からのキャンペーンは、後で「しまった」と後悔する確率がか

 なり高いと思えるのですが、皆さんはどう思われますか?

 

表面はあくまでも強きだが

◎隣国同士のイスラム教の信心深い王様同士がけんかとなり、戦争に発展した。
                       R2/7/15
 
  さて、ここで問題です。
 A国とB国、どちらの王様も信仰深いイスラム教徒ですので、どちらも同じアラーの神に祈った。
 「アラーの神よ、今回の争いは絶対に向こうが悪いのです。どうか我が国が勝利出来ますようにお願いをいたします。」
 両方の王様が同じようにアラーの神に祈った。
 もし皆さまがアラーの神であったら、AとBのどちらに勝たせられますでしょうか。
 
    私? 私でしたら知らんぷりという解決方法をとります。
 そしてソレがベストだと思います。
  なぜなら、イスラム教の信者は祈るときに「インシュ アッラー」とお唱えします。
 仏教で言えば「ナンマンダブ」のお唱えごとと同じです。
  「インシュ アッラー」は、「神がお望みなら」という意味です。
 つまり戦争に勝っても負けても「神がお望みなら」と、どんな結果になろうがそれぞれが納得するのです。
 
 随分聞き分けの良い信者ですが、その点神様は楽ですよね、何もしなくても信者が勝手に納得してくれるのですから。
 
 お酒には厳しいイスラム教ですが、戦争に負けた時だけは、やけ酒を飲んでも許されます。
 
 「飲酒、アッラー」             冗談ですよ~!

インシュ アッラー

◎第三墓地の駐車場を挟んで東側の山斜面が崩落しました

所のこととばかりと思っていたら、当山でも被害が出ました。

高さ7~8メートル、幅6~7メートルにわたって山の斜面が崩落しました。

 弘長寺も平地ではありますが、結構急斜面の山に囲まれていて、崩落の危険個所が多数あって心配です。

 役場支所に連絡をして、災害補償がもらえるかどうか担当者においでいただき、写真撮影後、帰って検討するとの返事を頂きました。

 土砂撤去は檀家の業者にお願いすることに依頼致しました。

 一番危険個所はお風呂場の上の崖ですから、副住職にも夜中の入浴は控えるようにと告げておりましたが、まさか墓地の前が土砂崩れするとは。

 

 まさに青天の霹靂でした。

 

 

          R2/7/14
 ★少し一休みしましょう(休んでばかりですが)
 
    知恵一つでまあるく収まるお話です。
 ネットからの全くのコピペです。(ゴメンナサイ) 
 
   頭の体操です。
 
  ラクダを17頭所有していた老人が,遺言を残して亡くなりました。
 その遺言には,「長男に2分の1,次男に3分の1,三男に9分の1となるように分けよ」とありました。
 
 ところが,17は2でも,3でも,9でも割り切れません。ラクダの身体を刃物で切り取って分けることもできず,兄弟たちは困り果てていました。
 
 そのとき,村を通りかかったお坊さんが,「私のラクダを1頭貸そう,18頭になるから分けられるだろう」と言ってラクダを1頭貸してくれました。
 
 18頭を長男が2分の1の9頭,次男が3分の1の6頭,三男が9分の1の2頭を受け取ると,1頭余りましたので,お坊さんにも返すことができました。
 
 皆が納得できて、しかもお坊さんも損することなく,まさに,メデタシメデタシということですね。
 
 皆がお坊さんの知恵に感心するとともの,お坊さんの名声も国中に広まることとなりました。
 

◎パロディー 「雨ニモアテズ 」

                               どこかの校長先生 作

                R2/7/13

 

   雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモアテズ

   ブヨブヨノ体ニタクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ遊バズ

 朝カラアクビヲシ 集会ガアレバ貧血ヲオコシ

 アレユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノシラズ

 コンナ現代ッ子に ダレガシタ 

                                 産経新聞より

 

  実はこんな一昔前の現代っ子が、今親になり

 「モンスターペアレント」になっているのです。

 

先生タジタジ

                                     R2/7/12
  「今まで経験したことがないような大雨」最近は数年、続けてこの言葉を聞いているような気がします。
 建てたばかりの家だってあったでしょう、それが2階まで濁流が来て、家電製品は泥まみれ、使い物になりません。
 中には流された家もあります。
 
 電化製品や畳やふすま、障子などを満載したトラックが、ゴミ置き場で渋滞して数時間待たせられる状況が生まれています。
 
 おまけにコロナ対策でボランティアも呼べないので人手不足。
 そして次の氾濫の危険性も迫っている。
 水道が出ないから泥を流し出すのも困難です。
 そしてそのまま乾いたら、今度は乾燥した泥の粉塵ですごいことになります。
 
 まさに泣きっ面にハチです……他人事ではなく、明日は我が身です。 
 
 「ここにはもう住めないかもしれない」インタビューに答えた方がポツリとつぶやかれた。
 でも、じゃあどこへいけばいいんだ、ということになります。
 
 川の傍にいれば氾濫に遭う、山の下に住めば山崩れに遭う、海の傍に住めば高潮・津波が、高台に住んでも台風・落雷・たつ巻が、どんな所に住んでも震度9クラスの大地震が来たらおしまいです。
 
 大自然ばかりではありません。
 米中対立で、もしその間にある日本が火の粉を浴びることもあり得ますし、その間隙を縫って北朝鮮から核弾頭が飛んできたら、それこそ日本列島全てアウトです。
 
 住民の皆さまの嘆きを見ていると、よそよそしく頑張れなどとも言えません。
 静かに神仏に祈るしかありません。

この橋もあぶない!

◎同じ南無阿弥陀仏なのに、師匠の法然様より

               弟子の親鸞様への信者が多いのはなぜか

                     R2/7/11

 

  確かに浄土宗よりも、東西本願寺を合わせたら日本で最大の宗派となるのが親鸞様の浄土真宗です。

 

 だから本心を覗くと、浄土宗の信者の方は複雑な心境ではないでしょうか。

 

 「本家本元はこちらだぞ」と、おそらく喉元まで言葉が出ているのではないでしょうか。 その気持ちはよく解りますよね。

 

 では何故親鸞様の方が人気が出て、信者数も格段に多いのでしょうか。

 それは、法然上人様は比叡山で修行中から天才と言われてきて、当時から偉いお坊様と思われていました。

 そうです、妻帯もせず、戒律を守る偉いお坊様だったのです。

 

 それに引き換え、親鸞様は余りにもドラマチックで破天荒で、法然様とはまるで正反対の極にいるがごとき存在だったのです。

 

 自分は決して偉い人間ではない、出家はしているが半僧半俗であり、妻帯もする。

 自らを破戒僧と自覚し、三度の結婚で女犯し、多数の子供をもうけました。

    生真面目過ぎて近寄りがたい人よりも、少しヤンチャで、ちょい悪オヤジみたいな人の方に惹かれる女性が多いと聞きますが、(例えが悪すぎるという声あり)そんな感じなのではないでしょうか。

 

 法然様の教え「南無阿弥陀仏」を唱え、有名な「悪人こそが救われる」という悪人正機説を唱え、実は法然様の教えであったという説があるが、謎めいた生き方もあり、宗教的、哲学的に独自の高度な南無阿弥陀仏を展開された。

 日本人は昔から判官(ほうがん)びいきの傾向があるので、偉いお坊様より、破戒僧と居直る親鸞様により魅力を感じたのではないでしょうか。

お陰で今年は豊年だろ?
いや、知んらん

◎東京感染者224人、過去最大数がでた

              R2/7/10

  昨日はフェイントで75人だったが、本日は過去最高の224人です。

 神奈川25人、埼玉22人、千葉22人、大阪30人、全国でも355人と軒並み高数値となっています。 

  7月10日から野球もサッカーも上限5,000人迄は観客OKです。

 本当に大丈夫なのですか?

 

 球場クラスターとか発生しないでしょうかねー。

 最近浮かび上がった「空気感染」…エアコンがあってもなくても球場でファンが熱狂すれば、もし空気感染なら目も当てられない結末となりそうな危険を感じます。

 

 自然気象は荒れ狂い、コロナも荒れ狂ったならば、ダブルパンチもいいところです。

 おまけに首都直下地震の噂や南海ドラフの噂も気になります。

 

 トランプさんを見ていると、「ホラ見たことか」と思うのですが、小池さんや西村さんが「ホラ見たことか」にならなければよいのですが。

観客なしでは調子狂うぜ!

                 R2/7/9
                                                      
     たまには真面目に仏教のお話をしましょう。
 
 仏の名を呼ぶことによって、極楽浄土に往けると説いた法然上人はすごいと思います。
  
  奈良時代の仏教は哲学を勉強する学問中心の仏教でした。
  
  そして平安時代に入って弘法大師様が大日如来を信仰対象にされたのだが、印を切って真言を唱え、山岳信仰・山岳修行と、国に対する祈祷(国家仏教)に力点を置かれたので、奇跡を起こしていた弘法大師様への信仰は強くなったのですが、大日如来そのものへの熱烈信仰には至らなかった。
  
  また天台宗も総合大学として庶民には理解しがたく、山岳信仰・山岳修行を主張し、やはり国家仏教であり、特定の仏を積極的に信仰対象としなかった。
 
 空海様も最澄様も視点は国や貴族だったのです、つまりは出世指向だったと言えます。   
   だからいずれも、庶民に取っては難解で高値の花であり、とりつきにくい仏教だったのです。
  
  そこへ平安末期に、阿弥陀仏を信仰し「南無阿弥陀仏」を唱えるだけでお浄土に往けると、説かれたのが法然様です。
 
 当時庶民は識字率がゼロに近かったところへ、庶民誰でもが明快に理解可能で受け入れやすい、「他力本願」を説かれた法然様はスゴイと思います。
 
視点が庶民に移ったために、当然爆発的に浄土信仰が勢力を増していったのです。
  
  難しい仏教を、お浄土をたやすくイメージすることができて、「ナンマンダブ」を唱えるだけで往生できると説いた法然上人はすごいと思います。
  
  仏教を庶民の手に導かれた功績は偉大です。

庶民と仏教を繋いだ法然様はスゴイ

 
           R2/7/8
 
     またまた 脱線してちょっと一休み
 
 東京は6日連続100人超えとなりました。
 相変わらず夜の街関連が多いのでしょうか。
 
 あくまでも私見なので、不謹慎だと叱られそうな気がしそうですが、非常事態宣言解除となった途端に、歌舞伎町に人がワッと詰めかけた。
 
 本能に直結する色欲が、長期に亘り強制抑制を受けた後の解除ですから、「車は急に止まれません」の如く、少々コロナの危険があろうとも、歌舞伎町という甘い響きには適わないんでしょうね。
 
 何せお金さえ払えば、頭のはげ上がった(私もそうです)キモいおじさまでも、女性とアルコールを飲みながら「お客様は神様です」のハーレムスタイルで遊べる訳ですから、こんな楽しいことはないんでしょうね。(私には詳しいことはよく解らないのですが)
 
 そういう男性には何を言っても、無駄に近いのではないでしょうか。
 
 「三密は避けて下さい」という声も、「何だって?三密ってのは、ハチ蜜、あんみつ、壇蜜のことか?」と都合の良い響きにしか聞こえていないのではないでしょうか。
 
 歌舞伎町は、ロックダウンしなければ、コロナ感染はなくならないと思います。

ハーレムだぜー!

 

◎コロナ渦で詰まるところは、

   人の命と経済活性のどちらを選ぶかということです

                         R2/7/7

 

 withコロナという便利な言葉が勢いを増していますが、「コロナと共存をする」ということですよね。

 つまりワクチンや治療薬ができるまでの間に、コロナを押さえながら、ダメージを受けた経済をどう復活するかということです。

 政府や東京都は、コロナの顔色を見ながら不安定な自転車操業をしています。

 早い話が、少々の犠牲は出ても、これ以上経済活動を止めることはできませんよ、ということです。     

 だから都知事が、東京に連続で100人超えようとも、この裏には経済復活があるのだから、当然でしょ、なんてことありませんよという顔になってきた。

 

 押さえ切れていないのに、選挙がせまっているから博打に出て、経済復活のため全面開放策により、毎日5万人の感染者を出しているのが現在のアメリカ、トランプです。

 5万人の感染者をだしていながら、「コロナ対策は成功している」と、選挙までは故意にウソをつき続けるのです。

 5万人に比べれば100人など、確かに可愛いものなのかも知れません。

 

 世界のワクチン開発者は激烈な競争だそうですが、本当に副作用も無く安心なワクチンが完成するのは最低でも2年はかかるそうです。

 でもそんなことをしていたら経済がもたないので、これも博打で、患者に治験をしながら生煮えのワクチンを使うことになるのでしょう。

 

 コロナは、命とは何か、命の重さとは何か、経済とは何か、経済と命を天秤にかけたときの重さはどちらなのか、深く考えさせられます。

 現在の「命」の価値は、かなり暴落しているような気がしています。

 

 

やはり経済も大事だ!

◎自然の猛威の前には、

    人間は全く無力にならざるを得ない

               R2/7/6

 テレビに映し出された次々に襲い来る球磨川への線上降雨帯の恐ろしさに身震いがした。

 9メートルの浸水で急濁流、屋根の上で救助を待つ人々、おそらく生きた心地がしなかったのではないでしょうか。

 車が逆さになり、車も屋根しか見えない状態、養護老人ホームも1階が浸水、多くの犠牲者がでた。

 もちろん、梅雨の時節で、大雨が降るのは当たり前なのかも知れませんが、2年前の岡山・真備町も含めこの線上降雨帯による被害が多くなってきたような気がします。

 

 今回は気象庁の緊急警報も後手に回った感があります。

 しかも3時、4時頃という深夜の突然の緊急警報に気づく人も多くなかったのではないでしょうか。

 

 私は、この異常気象は少なからず、悪魔のようにしか見えないトランプ大統領を筆頭に、世界の自己中リーダー達が、自国利益のみを追求して自然環境破壊の暴走に深く関わっていて、人的災害の要素が多いということを決して忘れてはならないと思っています

 

 

命からがらです

◎そうでしょ、コロナを甘く見ると痛い目に遭います

               R2/7/5

 7/4は、東京で131人の感染者、3日続けての100人超えとなりました。

 東京隣接県」は、3県で62人、大阪も17人、全国でも感染者が拡散しています。

 今日は都知事選投票日なので、小池知事はあまり刺激的な対策が取れないのでしょう。

 彼女の口からは、モヤモヤした言葉しか出てきません。

 全国でも更に感染者が増えていきます…一体どうなるんでしょう。

 

 更に追い打ちをかけるように今冬は新型豚インフルエンザが流行しそうだとのことで、コロナとのダブルパンチパンデミックになりそうです。

 

 アメリカ、ブラジルやその他の国々が初期対応を失敗した上に、その対策がちっとも功を成さない中で、経済復活だけを焦り、対策を緩和したり解除した結果、見るも無惨に軒並み感染者を大量増産して更に痛い目に遭っています。

 日本も少し感染者数が落ち着いたからといって、もっと慎重に構えれば良かったのに、経済復活を焦ってその国々の真似をする必要など本当はなかったのです。

 ただ、その気持ちはわかります、貧乏国になったので、ここで経済を何とかして高得点をあげないと、初期対応を見誤った政府のミスだけが浮き彫りになりますものね。

 

 毎年のように超強力なウィルスが出てきて、コロナや新型豚ウィルス等、ダブル・トリプルどころか何種類ものウィルス地獄に陥れば、人類は危ないのかもしれない。

 希望に満ちた文章を書きたくても、こう毎日不安材料ばっかり発生していては無理ですよ~。

  

 

今年の冬は国民に
    マスクをもう一枚送っとこう

◎脱線ついでに大脱線してみよう

                                        R2/7/4

 

 さて、レビー小体型認知症の義母の続きです。

 

  昼夜が逆になり、徘徊も始まりそうな勢いとなったので、妻と交代で、夜、義母の監視をすることになりました。

 毎晩義母の隣の部屋で、フスマ1枚隔てて監視しながら寝ることになったのです。

 

  義母は、夜通し寝かせてくれませんでした。

 10分おきに、自室から私が寝てる隣の部屋にやってきて、わざわざ灯りをつけて私が布団の中にいるのを確認してから、すぐ消灯し、自室に帰っていく。

 

 それを一晩中繰り返すのです。(昼は熟睡なので、夜は元気いっぱいです)

 

 妻も同じ目に遭っていたので、相談して、これは睡眠不足で身体がもたんから、お互い昼寝をしっかりしようということになった。

 

 そして事件は起きたのです。

 

 妻が監視する夜でした、昼寝に失敗して寝不足で布団に入った妻が、ガサゴソという物音で夜中に目を覚ましたら、義母が妻の上にまたがり、着物の尻をからげて、まさに行為に及ばんとしているところでした。

 「ちょっとおばあさん、何しちょーかね」ビックリして大声で義母をはねのけ、突き飛ばしたそうです。

 「エ・エ~ッ? ここはトイレじゃないのかいね。」

 

 翌朝、不眠とショックで目を真っ赤に腫らした妻が、

 「もうちょっとで便器にされるところだったわ」とフンガイしていた。

 

 数日後、義母には申し訳なかったが、施設に移ってもらうことになった。

本人はこのつもりだったんです

◎お坊さんになってから一番自信を失った日

                                                                          R2/7/3

  10年位前、大晦日と正月に大雪が降ったことがある。

 義母が大晦日に倒れて、精神的にもおかしくなっていった。

 

 義母の部屋のふすまや障子から手が出たり、足が出たり、知らぬ人の顔が出たりする。

 「お化けが出て困るので、この部屋を拝んでくれんかね。」

 

 「任せといて下さい。」

 私は早速、経机を置き、衣とお袈裟で身支度をし、線香を立て、義母の前で馨子(鐘)と木魚で丁寧に長時間、読経をしました。

 

 翌日「あれだけ拝んだのだから、お化けは出なかったでしょう」と自信満々で義母に尋ねたら、「何がねあんた、一晩中、余計にもっと沢山出るようになったわ」と答えが返ってきた。

 

 この時ほど仏教者として、お坊さんとして完璧に自信を失ったことはありません。

 私の法力もこんなものであったか、すっかりしょげかえってしまった。

 

 お化けだらけで、一晩中寝られないと疲労困憊を訴えるので病院に連れて行った。

 するとお医者さんの診断は、「これはレビー小体型認知症です」。

 

  初めて聞いた病名だったが、症状がアルツハイマーの十倍の進行速度がある痴呆症の病で、特徴は障子から手が出たり、足が出たり、知らぬ人の顔が出たりする、怪異現象が出現する病です、と告げられた。

 

 つまり、いくら読経をしようとも、どんな処置をしようとしても、化けものが出現する病だったのだ。 

 「良かった、私の法力とは全く無関係であった」すぐさま自信を取り戻すことができた。

こんなのが一晩中出たら、
そりゃ寝れん!

◎命をいただいた生き物は、やはり命が惜しいんです

                                                         R2/7/2                        

 

 信仰深いおばあさんが、いつもお詣りするお寺の本堂の前で手を合わせ、「仏様、どうかピンピンコロリと死ねますように」と大きな声で祈っていた。

 

 すると、本堂の中でそれを聞いていたいたずら好きな和尚が、「よしよし、ばあさんや、あんたはなかなか信仰深いから、本日その願いを叶えてやろう」

 声色を使って答えたら、おばあさんは「ヒエ~ッ、仏様、なんぼなんでも今日は困ります~、 あと10年待ってくだせ~」と逃げ出していった。

 

    歳をとっても命は惜しいのです。

 

 お釈迦様は、歩くのにいつも下を見つめ、蟻を踏み殺さないように注意を払われたそうです。

 我々はどうでしょう、おそらく今まで何百匹の蟻をうっかり踏み殺したことか。

 それどころか、蚊が飛んでくれば平気でパチン、ハエがいればハエたたきでパチン。

 ゴキブリガ出てくれば、ソレッとパチン、どれくらいの生き物の命を奪ってきたことか。 それどころか、毎日牛肉や豚肉、鶏肉を、直接手がけてはいないけれども、その命をいただいているのです。

 どんな生き物だって殺されるのを望んでなんかいません。

 どんな生き物だって命は惜しいはずです。

 キリスト教では他の命を奪わざるをえないことを、原罪というのでしょう。

 他の命をいただかないと、この命を養うことはかないません。

 

それを当たり前と思わずに「私の命のために、動物さんたちごめんね、有り難う」とほんの少しだけ謝罪と感謝してから命をいただくことが、本当は大切ではないでしょうか。

いたな、人類の敵め!

◎コロナが東京で再び息を吹き返している

                                                                            R2/7/1

  6月30日の感染者は、東京54人、神奈川31人、埼玉10人です。

 特に東京は5日連続で50人以上、その半分は感染経路不明です。

 

 経済復活のため全面解除で、県をまたいでもOKですから、やはり当然の結果でしょう。

 コロナの感染力を甘く見てはいけないと思います。

 潜伏期間を考えると、あと1~2週間位したら全国でどんな数になるか恐ろしいです。

 

  アメリカやブラジルは1日4万人で増加しています。

 日本とは桁が違います。

 トランプ大統領がコロナの脅威よりも経済復興へ走った結果です。

 

 特にブラジルは検査数も少ないから、まともな数値が出ていないので、氷山の一角だそうです。

 インドも感染者が多いし、南アフリカ、南米もパンデミック増加中です。

 とても世界がこのような状態で推移するなら、来年のオリンピックはおそらく無理でしょうね。

 

 ワクチンができても貧困層にはまわらないというのです。

 

 このコロナが怖いのは、2回の陰性が出て退院しても、後遺症に悩む方がものすごく多いそうです。

 一見退院者数だけを見ると、完治して退院と思いがちですが、病院から退院を言い渡されても、自宅療養となる方が多く、必ずしも症状が完治して退院するわけではないのです。

 コロナとは長い付き合いになりそうです。

こうだと良いのですが

◎トランプも金正恩も目ではないトンデモ大統領がいた

                                (ちょっと本日は一休み)      R2/6/30

 

 それはブラジルの ボルソナロ大統領です。

 この方のおったまげ発想は完璧に常人の域を超えている。

 ネットからの転載で申し訳ないのですが、こんな感じです。

 

 

 

コロナ対策では、

「人々が自動車事故で命を落とすからといって、自動車製造工場を閉鎖することはできない」

「私たちのうち90%は、新型ウイルスに感染しても症状が現れない」

「新型コロナウイルスは、軽いインフルエンザか、ただの風邪程度だ。マスコミは、各国の事例を最大限に言いはやし恐怖をあおっている」

「新型コロナウイルスには(国民の)70%が感染する。どうすることもできない」

「(死者が5000人を超えたことについて)それで? 残念なことだ。でも私にどうしろというのか」

「悲しい状況だ。多くは高齢者だが、愛する者を失った家族に同情する。でもこれが人生、あすはわが身だ」

 

 閣内から異論が出て、外出禁止や商業活動の自粛など、常識的な対策を主張する保健相を2人更迭。軍人を暫定保健相に任命した。

 

「大統領、毎日想定を超える多くの感染者が死んでいっています。」と報告があれば

「それがどうしたというのだ、人は必ず死ぬ宿命にある」ですって。

ウーン、なるほどと、変に納得してしまうのだが、この大統領と比較すれば、阿倍首相はかなりまともに思えてくるから不思議だ。 

な~に、ただの風邪程度さ!

 ◎  誰もが認める本物の天才です

                                                  R2/6/29

 そうです17歳の藤井聡太七段です。

  快進撃、すごいですね。

 プロの世界で、高段者をバッタバッタと撃破する、痛快です。

 次々と記録を塗り替え、ゆくゆくは羽生七冠を超える棋士になるに違いありません。

 

 母親から東大へ入学しろと言われているらしいのですから、学業も優秀なのでしょう。

 普通、こういう天才だと面構えもキリリとして、人を寄せ付けない厳しさがある方が多いのですが、彼は全く違います。

 あどけなさが残り、柔和で温厚ですから、対局者も案外そこら辺で隙を作ってしまうのではないでしょうか。

 

 もちろん、若いからということもあるのでしょうが、発する言葉も謙虚で決して偉ぶらない、……ここが大事なところだと思います。

 

 「実るほど頭の垂れる稲穂かな」

 これを生涯徹底してもらいたいと思います。

 

 なぜならいくら能力が抜群でも、頭を垂れることが叶わなくて人望を失う残念な方が、逆に頭がフン反り返って人が寄りつかない惜しい方が、世の中にはわんさといるものですから……あ、すみません、私も能力がないくせに頭を垂れることを忘れる一人かもしれません。

 

 抜群の強さと謙虚さのギャップが、人気に拍車をかけています。

 人の価値は、一面では案外頭を垂れる謙虚さで決まるような気がしています。

 

  藤井君には、今のそのままで謙虚で無敵な生涯、天賦の才を思う存分全うしてもらいたいと思います。

 聡太君、ガンバレ!

謙虚さを失わない天才で!

◎「ケセラセラ」は魔法のことば

       

                R2/6/28

 70年も人生を生きていると、そりゃあ色んなことがありました。

 参ったなあ、どうすれば良いのだろう、あっちもダメ、こっちもダメ、八方ふさがりだ。

 どうあがいても、ニッチもサッチもどうにもならないことだってありました。

 

 そんなときの一番の特効薬は、開き直ることです。

 どうにもならんから、煮るなり焼くなりしてくれー。

 

 その時のことばが「ケセラセラ」です。

 ケセラセラ…なるようになれという歌の文句です。

 開き直ると同時にそのことばによって不思議と力がわいてくるのを覚えました。

 

    魔法の言葉です。

 

 その時はまだお坊さんではなかったのですが、今から思うとこれは仏様の冥力と同じだと思います。

 つまり、「南無阿弥陀仏」「南無観世音菩薩」「南無釈迦牟尼仏」と一緒ですね。

 どうにでもしてくれという開き直りの底力ってんでしょうか、それは「助けてくれる人があるならば助けてよ」という思いでもあったはずです。

 

 ペギー葉山さんの歌声が、そのとき開き直った耳に聞こえてきました。

 「ケセラセラ、なるようになれ」…そうだ、この歌だ、今の自分にピッタリの言葉だ。

 寝転んで大の字に投げ出した身体に何故か妙に力がみなぎってきたんです、不思議な言葉です、不思議な歌です、そして不思議な力でした。

 

 「ケセラセラ」は「ナンマンダブ」と同じ魔法のことばなのです。

 

ケセラセラさ!

◎「こちらから」の詩に学ぶ

          R2/6/27

 

  仏教詩人、坂村真民さんの詩に打たれたことがあります。

 

    こちらからあたまを下げる

 こちらからあいさつをする

 こちらから手を合わせる

 こちらから詫びる

 こちらから声をかける

 すべてこちらからすれば

 争いもなく

 なごやかにゆく

 こちらからおーいと呼べば

 あちらからもおーいとこたえ

 あかん坊が泣けば

 お母さんがとんでくる

   すべて自然も人間も

 そうできているのだ

 仏さまへも

 こちらから近づいてゆこう

 どんなにか喜ばれることだろう

 

     読めば読むほど「確かにそうだなあ」と思える詩です。

    こけんとか意地がじゃまをして、人間はなかなか素直に

 なれない生きものなのかもしれません。

 この詩を読むと自分のいたらなさをひしひしとかんじます。

合掌し、仏様に祈ってみよう

◎さ、お待たせいたしました

                      観音経のクライマックスです

                                                                                                    R2/6/26

 観音経には二つの重大要素がある、と申し上げましたが、一つは現世利益です。

 もう一つは、「私自身も仏であり、観音様に違いない」という主張です。

 

  現世利益は、イヤというほど認識できたでしょうから、もう一方に移ります。

 これはひろ先生の解釈なのですが、大体に菩薩様というのは変身の名人です。

 観音様は33の姿に変身されます。

 仏の姿はもちろんのこと、帝釈天や大自在天や富豪や、お坊さんや在家のままで修行する人や大人や子供、化け物に至るまで33の姿に変身されます。

 

 それは一体何の為に……私を仏にするためです。 

 法華経は28巻を通して一貫して、この私を仏にするために懸命に説いているのです。 

 ひろ先生は、観音様の変身の姿の中で4つの大事な姿がある、お坊さんや在家の方々、大人の男女と子供の男女だと説かれます。

 なぜなら自分の周りに普通に沢山いるからです。

 すると、私の前にいるあなたも、あなたも、観音様の変身をした姿だ、ということになります。

 何のために……私を仏に導くためです。

 

 とすると、私の前にいるあなたが観音様の変身した姿であるならば、この私も観音様が変身をした姿ということではないのか、何の為に……あなたを仏にするために。

 

 そうだ私自身も観音様なんだ、何のためかというと……あなたを仏にするためです。

 観音経が叫んでいるのは、「私は観音様が変身をした姿である」ということを強調したかったのです。

 

 私が観音様であるならば、「こん畜生」とか「殺してやる」などというぞんざいな言葉は使わないであろう 、私が観音様であるならば、拳をふりあげたり、刃物を持ったりしないであろう、あなたが私にキツい咎めだてをしても、私は観音様だから、寛容の心であなたに接しましょう。

私が観音様であるならば、観音様にふさわしい言動をせねばならない。

 

 どうです、観音経ってすごいお経で、ギャフンですよね。

 私は観音様なんだから、観音様らしく生きようよ、と呼びかけているお経なのです。

私は仏だ、ヘンシ~ン!

◎恒例の延命地蔵供養祭を厳修

                                                  R2/6/25

 

  毎年6月24日、門前にある地蔵堂に鎮座せる延命地蔵菩薩様の供養祭が執りおこなわれました。

 

 日中はうだるような暑さでしたが、夕方5時半からの開始時には、涼しい風が心地よい状態で読経できました。

 

 今までは、主に弘長寺地区の方のみの参加でしたけれども、本年より対象を全檀家に、護持会行事としてご案内を致しました。

 

 全員で「延命地蔵菩薩経」を読誦しました、家族に世話をかけぬよう元気で長生きができますようにとの思いを込めて。

               具体的に教えてくれ、ですって?
                                                                          R2/6/24
 
 
  了解です、やはり一番気になるところですものね。
  長くなりますから、主なところだけをかいつまんでみましょう。
 
 といっても、経典の中の9割近くは載せてあります。
 
  ★観世音菩薩の名を忘れない人は、たとえ燃え盛る火の中に入ったとしても、
     焼かれることはありません。                                               
  ★大洪水に襲われても、観音の名を称えたならば、たちまち浅い所に逃れられます。
  ★今にも斬り殺されるか、殴り殺されそうな時でも、觀世音の御名を称えれば、刀や棒       がバラバラになり難を逃れられます                               
  ★性欲に悩まされているのなら、いつも観世音菩薩を心の中に思い浮かべて、敬うよう       に心がけることで、その欲が心から離れて、悩むことがなくなるでしょう
  ★怒りを覚え、自分自身を苦しめている人は、いつも観世音菩薩を心の中に思い浮かべ       て、敬うように心がけていれば、腹が立たなくなるでしょう
  ★悪政に虐げられ、死刑を宣告されて正に刑執行の時、観世音菩薩の力をしっかり信        じていたら、振り下ろされる刀は粉々に壊れてしまうでしょう
  ★牢に閉じ込められて縄や鎖で拘束され、手足を枷で縛られても、観世音菩薩の力をし       っかり信じていたら、すぐさまそこから逃れられるでしょう
  ★誰かが呪いやまじない、毒薬で、危害を加えようとしても、観世音菩薩の力をしっ        かり信じていたら、その呪いは本人の元に返ってしまいます
  ★恐ろしい獣に取り囲まれ、鋭い牙や爪を持っていても、観世音菩薩の力をしっかり信        じていたら、たちまちにどこか遠くへ逃げていってしまうでしょう
  ★イモリやヘビまたはマムシやサソリが、毒の息や炎を吐き出していても、観世音菩薩       の力をしっかり信じていたら、どこかに行ってしまうでしょう
  ★雷が鳴り稲妻が落ち、雹が降って大雨になっても、観世音菩薩の力をしっかり信じて       いたら、その瞬間に嵐は静まってしまいます
  ★(観音様には)汚れなき清らかな光があって、その智慧の光は様々な闇を照らし、災       いである煩悩の風や火を鎮め、もれなく明らかに世間を照らし出します
 
  どうです、そろそろゲップが出てきそうでしょう。
 
  観音経はくどいほどに観世音菩薩の御名を唱え、そのお力を念ずれば、願いを叶えて下さいます、と説かれています

こんな時こそ「南無観世音菩薩」です

◎私は余程観音様にご縁をいただいたのです

R2/6/23

 観音様のご縁やいろいろな冥力により、父は一ヶ月程で全快し、私はすぐに修行に戻ることが出来ました。

 

 その修行の途中で、縁があってこの弘長寺に弟子養子で入りましたが、この弘長寺のご本尊様が、やはり観音様でございました。

 

 観音様は阿弥陀如来様の脇侍でいらっしゃいます。

 ひろ先生の解説によれば、お浄土では阿弥陀様が現役で説法していらっしゃるので、観音様は暇なのでこの現世世界に遊行に来ておられる。

 遊行というと遊ぶという字が使ってあるので、遊ぶために存在しておられるのかと思いがちですがそうではなく、お釈迦様が悟りを開かれた後、お亡くなりになるまで45年間も遊行説法の旅でありました。

 つまり、世の人々を救う利他行のことを「遊行」というのです。

 

 平成17年阿弥陀堂(位牌堂)建立時、阿弥陀坐像の体内から県重文級のお宝が発見され、阿弥陀様を修復して安置いたしました。

 その数年後、第三墓地に永代供養塔を建立しましたが、その塔の上には坐像の観音様を安置いたしました。

 

 つまり阿弥陀堂を中心にして本堂と永代供養塔には、脇侍として観音様を配置した形となり、寺院そのものが「お浄土」をイメージする伽藍となりました。

弘長寺そのものがお浄土です

 
                       R2/6/22
 
  私は修行僧となるには、年齢が35歳とやや高齢でしたので、本山に行かせてもらえませんでした。
「お前みたいな中途半端な人間は、本山では務まらんだろうから、地方僧堂に行け」
  右も左も解らぬ私は父の言うとおりにするしかありませんでした。
 
 実家のお寺は弟が後を継いでいました。
 
 修行が始まって3ヶ月が過ぎた頃、夜、実家のお寺から突然電話が入ったのです。
 弟からでした、「父親がくも膜下出血で倒れた、命が危ない状態だ、万が一のことがあるかもしれないので覚悟をしておいてくれ」
 
 まんじりとも出来ぬ夜を過ごした翌朝、作務(掃除)の最中に、なんと草履(道場での上履き)の紐が切れたのです。
    虫の知らせって本当にあるんだと思いました。
 
 僧堂の指導者:鑑寺(かんす)老師に事情をお話したら、「それは心配ですね、あなたのお師匠様のために祈りましょう」と自らも衣に着替えて、天竺殿にある平安時代に作られた金箔木像:手習い観音様の前で一緒に観音経を拝んで下さいました。
 
 鑑寺老師への有り難さ、観音様への有り難さに涙をこらえきれませんでした。
 
 直後に弟からの電話、「父は何とか持ちこたえている、ただ手術のため、遠方の病院へ移さねばならない、しかし今度はお袋が看病疲れで倒れそうだ。
 修行道場に依頼するので、しばらく看病に帰ってくれないか」
   私は修行3ヶ月で実家に帰ることになった
 

毎度、虫の知らせで~す

◎観音経を読み解いてみよう

                                               R2/6/21

 正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」というお経です。

 

 般若心経では、観音様が空という哲学を前半で説き、後半は呪文の神通力が説かれているお経でしたですね。

 

 この観音経は主として二つの重大要素を持ち合わせています。

 ★一つは観音様のパワーと、そのお力による現世利益を説いています。

 ★もう一つは、「私自身も仏であり、観音様に違いない」という主張です。

 

 さて今日は観音様の現世利益についてお話ししましょう。

 観音様を信じて、観音様の御名を唱えれば、どんな苦難も乗り越えられるし、命を失う程の危険からも救われる。

 「観音様のお力を信ぜよ」と、具体的な例を沢山お経に盛り込んであります。

 実は曹洞宗を開いた道元様も、中国での修行を了えて日本に帰る途中、嵐に遭い、あわや船が転覆せんとした時、道元様が船の舳先で観音経を唱えられたら、波の向こうに一葉観音様が現れ、やがて嵐が静まり、無事日本に帰ることが出来た、というエピソードが残っています。

 道元様は、日本に帰って初めて曹洞禅の道場を開かれたそのお寺の名を、「観音導利院興聖宝林禅寺」と名付けられました。

 私が修行した道場です。

 

 観音様は私たちを救い、仏の道に誘い、私たちを仏の身とするために、33の姿に変身をされます。

 だから、観音様の札所は33ヶ所です。

 

 実は、私も観音様に救われた経験があります。

 

信ずるならば、願いを叶えよう

◎ああ、木魚が孫の宝物入れになっていた!

                   R2/6/20

 

 木魚は木の魚と書く、何故魚を木で作り、それを読経と同時に叩くのか。

  魚というのは、本当は寝ているんだけれどもまぶたが無くて寝ていないように見える。 昔の人は、魚は寝ないと思っていたようです。

  だから魚のように、四六時中修行をせよとのメッセージがこの木魚に込められています。

 

 ところが、この木魚に関して、困った状態に陥った時期がありました。

 身近なものが次々となくなっていったのです、特にメガネが4箇はあったのに、悉く無くなっていくのです。

 その犯人は、当時2~3才だった孫(男の子)でした。

 私が本堂で作業をしていたら、孫が本堂に入ってくるのが解りましたので、驚かせてやろうと思い隠れていたら、何と彼が木魚にある穴にいろいろな物を詰め込んでいるのを見たのです。

 

 彼が本堂を出た後で木魚に明かりを入れてみたら、ティッシュや洗濯ばさみ、クレヨンやオモチャなどがいっぱい放り込んでありました。

 どうりで最近木魚の音の響き具合が悪いと思っていました。

 当然、メガネも4箇出て参りました、何かもうかったような気になりました。

 ただ木魚はパカッと開けないものですから、取り出すのに火ばさみや割り箸を使って相当苦労したのを覚えています。

 こっぴどく叱ってやりましたが、反省の色などなく「僕の宝箱、何でわかったの?」

   まいった!

 

ああまさか、孫の宝物入れに!

◎出棺の際、お棺の蓋締めをやめるわけにも行かない

                      R2/6/19

  葬儀出棺の際、昔は釘打ちという儀式があった。

 故人の霊が棺から飛び出て悪さをしたり、祟ったりしないように、四隅を全員が、石で釘を打ちつけるのです。

 そんなことをしたって霊は簡単に出入りすると思うのですが、気休めです、特に故人に対して生前、いじめたり苦痛を与えたような人に対しては、これで安心という儀式になったりしたのではないでしょうか。

 

 しかし最近、葬祭業者の一方的なやり方で、釘打ちが出来ない立派なお棺を作ってしまいました。

 仕方なく棺の蓋を4~50㎝の高さから全員の手で閉める、という儀式に変更せざるを得なくなりました。

 

 実はこれでめでたしめでたしという訳には参りません、遺族が多いと、コロナ問題では本来三密は避けるべきなのに、指だけでも蓋に触れようとギュウギュウの押しくらまんじゅうでお互いが濃密着されるのです。

 お別れの儀式で、お花飾りが終わり、司会進行する葬祭業者の係員が、「それではお棺の蓋を閉める儀式に入ります。」

 この時です、遺族親族が異様に多い葬儀では、その押しくらまんじゅうが始まります。

 「あーけー、私にもちょんぼし隙間を開けてごしないやい」と押し合いへし合いが始まったりします。

 この際には、三密なんて言っておられるかい、という独特の雰囲気が起きてしまいます。

 その剣幕の前では、「今日は蓋閉めをやめましょう」、などと言える状況ではありません。

 

    人生の最後のお別れに、泣きながら一心に別れの儀式を立派に務めようとされている皆様に「蓋閉めはやめましょうか」などと言ったら、ひっぱたかれそうな雰囲気になります。 

 島根では現在1人も感染者いないのだから、マスクさえしとればコロナへの用心よりも、悔いのない別れの方が大事だという切々たる思いは、僧侶の口も黙らせる力があります。

化けて出ちゃダメよ、
   しっかりと打ちつけたからね

◎あっ、流れ焼香ってそういうことなんですか!

                  R2/6/18

   葬儀で導師をしていると、後ろの会葬者の様子が全くわかりません。

 しかし、説明を聞いて納得しました。

 葬儀開始前・葬儀中にかかわらず、来られた方から順に受付だけをすませてから、そのまま焼香台に行かれて すぐ焼香をすませ、そのままお帰りいただくのです。

 

 なるほど考えましたね、三密を避けて、しかもしっかり名前を記入して、そのまま焼香が速やかに可能となる。

 長い葬儀に付き合うこともなく、あっという間に会葬のお勤めが終了する。

 

 遺族にとっても会葬者をお見送りする手間も省ける。

 いいことずくめであるような気がして、このやり方が定着しそうでありますが、つまりは全て「簡素化」に向かっているということになります。

 

 ではこのやり方に問題はないのかというと、やはりあるんです。

 それは、普通の葬儀ならば、導師が引導を渡して焼香した後で喪主焼香があり、代表焼香が終わって、会葬者をお見送りする遺族が焼香してから一般焼香に移ります。

 

 だから、このやり方の問題点は、導師や喪主より会葬者が先に焼香してしまうことです。

 苦肉の策とはいえ、本来はそんな失礼なやり方はあり得ません。

 焼香さえすれば良いというものではありません。

 

 結婚式に例えれば、披露宴で仲人さんの挨拶や乾杯の前に、参列者が早々とお酒や料理に手をつけているようなもんです。

 乾杯する頃には、泥酔者が「早くカラオケを歌わせろ」などと怒鳴っている。

 そこまでは行かないにしても、人生にとって葬儀は、結婚式と同等の大切で厳粛な儀式ですから、礼を失するのはいかがなものでしょうか。

 いや、結婚式より重大かな、なぜなら結婚式は人生の途中で2回、3回と数回なさる方がおいでになりますが、葬式は必ず人生の最後1回だけですから。

  礼を損じては、式の厳粛さも同様に損なうのではないでしょうか。

  まさかコロナが終束しても、このやり方が簡単だから、このままにしてしまおうなんて流れにならないでしょうね。

 

 だから、一見良さそうなこの「流れ焼香」を、はたして喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら、僧侶としては複雑な心境です。

  コロナは、人生の最後の別れの儀式さえも簡単に変えてしまった。

流れ焼香というなら、
   香炉の方が流れて来い!

◎地球、この星は不思議だらけ

         R2/6/17

 

  そもそも地球が自転していることが不思議だ

 それも24時間ほぼきっかりに一回転するなんて不思議だ

 

 誰が回してるのだろう

 

 お陰で昼と夜が大体半分づつ、お陰で昼間は、仕事をしたり、遊んだり、夜は疲れた身体を癒やして眠ることができる、不思議だ、生き物は必ず睡眠をとる,不思議だ

人間も身体の中に内蔵があり、脳があり、血管があるけれどその中を見たこともない

 

 不思議だ

 

  おまけに地球は太陽の廻りを365日でほぼ公転する、不思議だ

 

 誰が回しているのだろう、不思議だ、宇宙が生きている証拠だ

 

 お陰で四季があり、暑い時期もあり、寒い時期もある

 四季それぞれに日差しが違い、食物や果物もそれぞれ豊富だ

 当たり前と思っている事を、深く深く思いを極限まで煎じ詰めていくと、

 不思議以外のなにものでもなくなってくる

 

 夜空を見上げれば数えきれぬほどの満点の星空だ、何億光年という時を超えてやっと光が届いた星もある、不思議だ

 

 宇宙は不思議だ、不思議だらけだ、気が遠くなるほどの「大いなる存在」を感ぜずにはいられない、人間の知力ではとうてい理解が及ばない不思議な世界に、ただ今、命をいただいて生きている…不思議だ。 

宇宙:不思議すぎる

◎生死の中に仏あれば生死なし

 

  曹洞宗を開かれた道元禅師の言葉です。

 私が最初35才でお坊さんになったとき、訳のわからぬ言葉に出会ったのは、この言葉でした。

 

 これは道元禅師の九五巻という大著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の中から重要な言葉を選んでお経として仕上げた「修証義」の最初の部分に出てくる言葉であります。

 

 生死(しょうじと読みます)とは「人の一生」ということです。

 つまり直訳すれば「一生涯の中に仏あれば一生涯はない」ということになります。

 皆さん意味がおわかりでしょうか。

 私はさっぱり解りませんでした、先輩僧侶の方々に尋ねても解ったような解らんようなモヤモヤとした解答ばかりだったような気がいたします。

 

 やっと、こういう意味だったのかと解読出来たのは数年経ってからでした

 

 「人間の生涯は、楽しいことも散りばめてあるが、必ず苦しみに捕まる世界だ」

 お釈迦様の言葉です、故に四苦八苦という言葉を述べておられます。

 「しかしその苦しみの中にこそ仏になれる道があるのだ」と解かれました。

 とするとこういう解釈が当てはまります。

 「人間の苦しみの多い生涯の中にこそ仏になれる有り難い道が存在するのだから、それが理解できたならば、もはや人生は苦しいと悩むことはない」という意味だということが、やっと解りました。

 子供の頃、私も修証義を空で拝んでいたと両親が教えてくれました。

 そういえばそのころは、生死のことを障子だと思っていたような気がします。

 障子を破ったら、中から怖い仏様が出てきて、「コラッ」と怒られるような想定で拝んでいたような気がします。

コラッ!悪い子は食べちゃうぞ

◎やっぱりね、そうだよね、

          コロナはそんなに甘くないよね

 

 本日日曜日夕方の東京コロナ発表、47人感染でした。

 やっぱりね、そうだよね、そんなに甘くはないですよね。

 

  コロナってどこに潜んでいるか解らないのに、そして未だに東京で20人以上も毎日感染者があって、「本当に大丈夫かなあ」という多くの懸念の声がある中で、小池知事が「ほぼ全面解除しまーす」ですから、コロナが待ってましたとばかりに暴れ出しています。

 

 安心したり、また対応に苦慮したり、これが当分繰り返されるのだろうと思います。

 

 だって東京をはじめ、各地の感染が収まってくれないと安心はできません、羽田や八重洲、そして各地から島根に、多くの人々がリアルタイムで入り込んで来るのですから、とても安心どころではありません。

 

 たまたまラッキーな特性でコロナ勢力が弱ってきたのに、自分の手柄のように、「日本らしい対応で成功した」と口走った総理の言葉が忘れられません。

 

 山陰中央新報の社説で述べられたように、コロナ菌の種類に違いがあるのではないか、感染力、攻撃力、国によって感染程度や死者数が異なるのは、コロナ菌の成長度の違いも現れてきているのではないか、その研究も早く進めるべきだ。

 決して日本が正確な対応をしたから、弱まって来たのではないと、社説は主張していた。

 真っ当な論説だと感じ、賛同し納得した。

 

  アフリカやブラジル、アメリカもまだまだ爆発的に感染者が増加している。

 ワクチンや治療薬が完成して、副作用がないことが確認され、そしてそれが日本の隅々まで行き渡るまで、どれくらいの日数がかかるのだろうか。 

 

 「2・3年はかかるだろう」と予測する学者・研究者・医師が多いのですが、安心して元の暮らしに戻るには、世界的状況から本当は後どれくらいの年月がかかるのだろうか、47人という新たな感染者を確認し、ため息しか出てこない。

 

エーイ! 一網打尽だ!