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   ◎ホットダイアリー  6

 

◎悟りについて

         R2/8/6

お釈迦様は35歳の時、一週間の坐禅でお悟りを得られたが,その悟る方法や内容は明らかにされていない。

 悟りは真理を明らかにすることであるが、誰もが悟らねばならぬというものではない、私(釈迦)の悟りの方法など、私にしか出来ない超難解な技術であった。

 その私が人類の代表として悟り、真理を得て、その真理に従って法を説いているのだから私の説く教えに従いさえすれば良いのに、そして絶対不可能なのに、何故私が悟った様に再び悟り(真理)の瞬間を求めようとするのか 。

 私の説いた法そのものがさとりであり、真理なのだ。

 悟りへの道程も解らず、もし悟ったなどという者がいたら、絶対に私と同じ悟りではないはずだ。

 つまりいくら坐禅しても、ただの悟り真似坐禅にすぎないのだ。

 坐禅によって、自分を見つめ、心を落ち着かせたり、物事を深く考える坐禅を否定するものではないが、坐禅によって悟りを得ようなどということは考えない方が良い。

 

 私と同じように坐禅によって悟ろうとするのは、100%無理なことであるし、必要のないことだ。

 すでに真理を私が説法で表しているのに、それでは不満ということなのか。

 お釈迦様はそんな想いで見つめていらっしゃることでしょう。

ウ~ン、悟りはまだか

◎久々のビッグニュースでした

                                          R2/8/5                         

 

 昼テレビを見ていたら、大阪府の吉村知事が「ウソのようなホントの話」としてうがい薬(ポピドンヨード)がコロナ重症化を止める効果があるとの衝撃発表がありました。

 

 コロナウィルスは唾液に菌が増殖する、したがってうがい液のポピドンヨード液のヨードが殺菌力が強いので、舌廻りと喉をうがいすれば重症化を防げるとのこと。

 つまり外出から帰宅してすぐポピドンヨードでうがいをすれば、感染しづらいのではないかという訳だ。

 予防効果は解らないが、それも充分考えられるとのこと。

 強い味方が現れた。

 これはすぐに買いに行かないと無くなると思ったのですが、興味津々だったので、ついついテレビを見続けていた。

 ハッと我に返り、2、30分 遅れて出発、松江と出雲はおそらく完売だと思ったので、斐川に向けて出かけた。

 

 すると一軒目と二軒目ドラッグストアーはすでに完売でいつ入荷出来るか解らないとのこと。

 諦め気分で3軒めに入ったら、大瓶のうがい薬が一個だけ残っていた。

 本当にラッキーでした、何か宝物を拾ったような気になりました。

 子供や孫に分けてやります。

 

 やっぱり諦めてはいけないと思いました。

 私は良かったのですが、おそらく全国のうがい薬が店頭から消えていると思います。

ヨードのうがいが大切だった

                                                                      R2/8/4
 
 
      インドは、日本とは環境も、当時の風習も違えば、国民性も違います。
 
 インドでは小乗仏教(上座部仏教)と大乗仏教に分かれました。
 小乗仏教は自分が瞑想により、自分で悟ることを目指した仏教です。
 自分が悟るまでは他を救うことはしませんでした。
 
 ただお釈迦様は、瞑想の仕方、瞑想の中身、悟り方・悟りの内容(何が悟りか)については何も語っておられませんのに、どうして悟りや悟る方法が解ったんでしょうね。
 全て自己満足の世界ではないでしょうか。
 
 それは、中国から日本に渡っても、悟りへの憧れは無くなりませんでした。
 悟り至上主義から禅宗も生まれています。
 
 お釈迦様の教えの真意はそうではないと、それに対抗して出て来た仏教が大乗仏教です。
 そしてそれが中国に伝わると、中国人独自の解釈で大きく変化し、大乗仏教の中でいくつかの宗派に分かれていくのです。
 
 だから日本の仏教は中国仏教の影響を沢山受けています。
 
 中国では廃仏毀釈もありました、仏教が受難した時期も何回かあります。
 仏教も種々の変化・体験を経ながら日本に入り、日本でも時代背景によりまた変化をしていったのです。  続く
 

仏教伝来

                                                                   R2/8/3
 
 コロナ感染拡大は目を見張るほど強烈だ。
 特に東京を中心とした関東エリアは酷いもので、特に東京は病床ホテルも満室、自宅療養も増え、同時に家族クラスターも増えています。
 
 家族が感染した家の対応をテレビで見た。
 
 家族がバラバラで家族崩壊が起きている、隣近所の目も怖い、子供たちは学校で「ばい菌」呼ばわりされされるのが怖くて家にいるしかない。
    でも同じ家の中で、いつ感染するか分からない。
 
 悲惨な状況だ。
 
 若い人でも、健康な人ばかりではないので重症者はいます、高熱で呼吸がしづらく、まさに死線をさまようような画像も見ました。
 
 全国でも毎日感染者数が激増しています。
 
 これだけの感染力を持つコロナに対して、政府は「お年寄りへの感染は気がかりだが、安全対策に留意し、慎重に気をつければ、お盆の帰省も家族旅行も大丈夫です」という。
 なんという無責任さであろうか。 
 
  沖縄では医療体制ひっ迫とのことで、県独自の「非常用事態宣言」を出した。
 
 国の施策に惑わされず、県独自の対応をどんどん進めるべきだし、個人も非常事態宣言が出ていると思って行動することが大切です。

こうはなりたくない

◎芥川賞作家、立原正秋氏の随筆集から

                                                R2/8/2                                              

  故立原正秋氏の文は読みやすく美麗です、真似をしようにも文章能力が追っつかないので諦めました。

   立原氏が永平寺の拝観をした文が載っていたのを思い出しました。

 

 突然、雲水が怒鳴りつけてきた、「山内は坐禅修行中なので静かにしろ」

 そんなに大声ではないのに、永平寺の警察官の如き態度です。

    参拝客を怒鳴る自分の声の大きさはさておきである。

 

 立原氏は、「本当に修行の為の静寂が必要なら、参拝客を全てシャットアウトすべきだ。」

 拝観料を取っていながら、参拝客を怒鳴りつける法はないのではないか。

 

 怒鳴りつけるより、最初に受付でよくよく言い聞かせるべきである、そんな文だったように思う。

 

 神聖な場所であるが故に、その神聖さを壊すような仕組み・態度に一喝でありました。

永平寺の修行僧

◎そりゃ、自明の理ですよ

                                  R2/8/1

 

 一日の感染者は全国で1,500人、コロナ感染拡大は留まることをしらない。

 感染が収まりきっていないのに、GO TO トラベルで県をまたいで往来可とした政府の責任は重い。

 

 政府直属の専門家は政府に対して緊急対策を提言しているのに、政府は「自治体の仕事」と言わんばかりに国会も開かず、未だに知らん顔だ。

 アメリカ・ブラジルを見よ、それに比すれば何てことはない、と言いたいんでしょうね。

 つまり、経済効果の代償で、多少の感染拡大はしようがないと踏んでいるのです。

 

 地方だって一時は久しぶりの観光客で賑わいはあっても、結局は感染拡大で、自分の首を絞める結果で、窮地に追い込まれています。

 

 別の意味で、岩手でも遂に感染者が出たことに安堵しています。

 島根・鳥取でもちらほら感染者出現、ウカウカしていられません。

 

 業界から攻められての緩和策だったのは理解できますが、政府の中に、「まだ早い」と諫める声はなかったのでしょうか。

 

 今回の第2波は政府の無策によって、まだまだ拡大すること必至です。

 

 政府が頼りにならないとなれば、自治体がどんどん緊急事態宣言を出して、自らを守る手立てをするしかありません。

 

改めて基本に帰ろう

◎時には鏡を覗いてみる

                               R2/7/31              

 

 昔、ある本で読みました。

 確か博物館ではなかったかと思います。

 

 箱が置かれた机の説明文には、「世界で一番残酷で、凶暴な生物」と書かれていました。 

 箱の蓋をおそるおそる開けてみると、鏡が一つ入っている。

 なるほど、「世界で一番残酷で、凶暴な生物」というのは、「人間さん、あなただよ」という訳なのです。

 

 そりゃスーパーでは、お肉がパックで売られているけど、牛が、豚が、鶏が殺されているということです。

 

 お魚だって、お刺身や、焼き魚となって食べるのには、何とも思いませんが、主婦たちが、自分で開いて、内臓を取りだした調理の後では魚の味が落ちると聞きます。

 

 私たちの身体を保つ為には、お肉や魚ははぜったい必要です。

 お肉を食べる時に、動物が殺される場面などを思い浮かべる方はいないと思うのですが、でも、せめて、「いただきます」と手を合わせる位はしてもバチは当たらないと思います。

 

おいしい肉・魚ではあるが

◎この人は本当に視線を国民に向けているのだろうか

                                                                 R2/7/30                   

 

 不人気マスクの象徴であった、国民に2枚づつ配布した安倍総理のマスク。

 もう忘れかけていたんだけど、二度目の配布ときいて、開いた口がふさがらなかった。

 

 鼻と顎を同時に覆い隠すことのできない小ささと、虫が入っていたりする不良品の多さで、このマスクが不人気ということは、総理自身もよく解っているのだろうが、配布せざるを得ない理由が総理には存在するのだろう。

 

 そこにはマスク業者との癒着や、袖の下裏取引の匂いがプンプンする。

 

 だから国民がどう思おうが、どうしてもこの事業を完璧に遂行しなければならなかったのだろう。

 

 安心できるマスクが店舗に充分ある現在、送り先の介護者や保育者が、たとえ政府から送られてもその小さいマスクは絶対使わないと答えているのに、政府は有意義な政策だと無理矢理展開するつもりです。

 同じ税金を使うのであれば、何故医療従事者に対して、不足している防護服や特殊マスクの方に使わないのか、不思議でならない。

 

 支持率は落ちるし、コロナに加えて災害も多発、先行きは不透明だし、総理もやぶれかぶれなのでしょう。

 最近、顔が見えなくなったので、西村さんが総理かと勘違いしてしまいます。

                                                         R2/7/29
 
 コロナ対策で、窮地に陥っている劇団四季の現状が映された。
 浅利慶太氏を亡くし、その意志を受け継いで、コロナのため公演が出来ずとも、絶対潰さないぞとの強い思いで、赤字経営で苦悩する現況を知りました。
 
    若い頃劇団四季にハマったことがある。
    シェークスピア「ベニスの商人」で浅利マジックの虜になってしまった。
 
 シャイロックという金貸しがアントニオにお金を貸したが、船の難破によって返せなくなってしまった。(後で実は難破せず無事と言うことが判明)
 
 お金を貸すときの契約は、「返せないときは肉1ポンドを切り取ることができる」という契約でした。
 
 金貸しシャイロックは提訴し、裁判官は「肉を切り取っても良いが、血は一滴も流してはならぬ」と判決を下す。
 
 つまり物語では、肉を切るなどという残酷な金貸しに対し、大岡越前の守ならぬ名裁判官が金貸しを困らせ、痛めつける設定なのだ。
 
 それを浅利慶太氏は、「金貸しが、金を返せ、出来ぬなら肉1ポンドをよこせというのは、キチンと契約を交わしているのならそれはそれで極めて正当だ」という視点での衝撃的な演出でありました。
 
 その演出を見たとたん、観劇マニアにハマりこんでしまいました。

ベニスの商人

◎お経には、亡くなった人への説法は一つもない

                                                               R2/7/28

 「今年は父の・・回忌の法事ですので読経をお願いします」お檀家様からはこういう具合に頼まれます。

 お釈迦様の説法がお経になっています。

 しかし考えて見れば、お釈迦様が、亡くなった人に対して説法された事は一度もありません。

 全ての生きている人に対して、「この世の中はこうなっているのだから、こういう風に逆に考えたら、悲しい事もそんなに悲しく思うことでもないんだよ」とか、「人生苦しいことがいっぱいあるけど、苦しさの中で人格を磨くために、仏様がわざと苦しさを用意されているんだよ」

 と、対象は死者ではなく、生者に向けての説法が経典の中身となっているのです。

 すると、私たちの亡くなった人(ホトケ)のためのお経ではなく、生者(今、生きている私)がその教えを納得できるように、読経の後で、本来はお坊さんが解りやすく説かなければならないのです。

 私ども僧侶は、「お経拝み屋さん」になってはいけないのです。

 

 すると、僧侶も、法事を頼む方も、一番肝心なことをパスして「読経してもらったから、これで父も成仏できるだろう」とそれだけを納得し、全く勘違いして法要を行っている事になります。

 本当は法要を通して、自らに対して、お経が叫んでいる内容(命をもらっている私の生き方)を理解・納得し、教えの如く生きようと誓うのが、本来の法要の意義なのです。

 だから僧侶の側が、意識革命をして、もっと法話に力を入れなければなりません。

一体誰のための法要?

                                  R2/7/27          
 
 今日のダイアリーが100話という一つの区切りに到達しました。
 自分の中で「おめでとう」と祝いたいと思います。
 
 ほんまにこんなこと出来るんだろうかと、おっかなびっくりで始めたのですが、振り返ればもう100話ですか。
 
 そりゃ100も連日書けば、「オッ」と目を見張るような文もあれば、「何じゃこれ」とガッカリするような文もたくさんあります。
 
 あっという間に仕上がることもあれば、一晩中考えても文がまとまらないこともしばしばです。
 
 でも文を書くという技術が思っていたよりも難しいと思い知らされました。
 
 ただダラダラ書くのはできるんですが、なるべく短い文章で最後にピシッと締めなくてはならない、と思うと、ここでこの言葉を使うことが果たして的確なのか、とか、その言葉がじゃまをして締められないということも起きてきます。
 
 締め(落語で言えばオチ)がないと、当然ながら文は締まりません。
 
 読んでいる方が、簡単に締めを想像出来るよりも、含みを加えて数秒後に「なるほど」と思えるような締めを理想としているのですが、なかなか思った通りにはいかず、考えているうちに睡魔の誘惑にオチてしまうのがオチなのです。

ウ~ン、次の文が出てこない

◎やはり中国でも、ものすごい洪水

                                                     R2/7/26

 

  日本だけかと思っていたら、中国でも大洪水が発生していた。

 

 危険水位に達して、ダムが放流された、日本とおなじように下流域の村が幾つも水没していた。

 

 ついこの間、文章を書いた桂林も例外ではなかった。

 水墨画どころではない、濁流暴れる川に変貌していた。

 

 当山も、水の犠牲になって駐車場が崩落で土砂災害となった。

 

 悲しい現実ではありますが、家を流されたり、家の中が土砂で充満して絶望の境地でおられる方のことを想えばまだましかもしれない。

 

 今年は台風が来ないのが不思議だけれども、八月頃まとめて、強烈な風速80メートルなんてのが毎週来たりしないですよね。

 

 今更ながらこの気象状況を作り出したのは一体誰なのかを思い起こそう。

中国でもダム放流が

                                                 R2/7/25                                          
 
  国会で主張された、東大・児玉教授のご意見は、驚くべきものだった。
 すぐに50万人の新宿区民全員をPCR検査しないと、八月は目を覆うばかりの光景になるとのこと。
 
 現在の感染拡大を見ていると可能性は高いように思える。
 
 小池知事は1日1万人を目指しているのだが、それでは間に合わないので、政府が主導すべきだと教授が主張された。
 
 ウィルスが進化して変化すれば、いくら現在ワクチン開発が進んでいようとも、せっかく完成したワクチンが効かないということも考えられるとか。
 
 武漢型から西欧型、東京型から埼玉型と変化しているらしいです。
  今日の中央新報「こだま欄」にも、全国で感染拡大しているのに、何故今、GO TOキャンペーンを推進するのかと、政府の姿勢を疑問視する声が載っていた。
 もっともなご意見です。

PCR検査

◎継続は力なり

                                  R2/7/24                                       

 

 お坊さんになってから、朝のお勤めをほぼ毎日続けて来た。

 若い頃は毎朝5時起きでしたが、いつの頃からか6時になり現在までその時間が定着している。 

 おかしなもので、たまに寝過ごして朝のお勤めが出来なかった時は、一日中なんとなく調子が悪いのです。

 そういう時には7時になろうが8時になろうが、ご本尊様に礼拝だけはするのだけれどなんとなく身体の動きが鈍く、運もついて来ないような気がするのです。

 

 朝のお勤めをする一番の御利益は、仏様に護られている想いと、お坊さんであるという自覚を保たれることと、お経を忘れないというこの三点だと思っています。

 お経は一度覚えたら絶対に忘れないというものではなく、読経の頻度が少なくなればやはり忘れて行くのです。

 

 読経はリズムで覚えこませてお唱えをするのですから、読経の頻度が少なくなれば、そのリズムを忘れて行くのだと思います。

 

 勉強だって、一夜漬けなんてその時だけで、一定期間過ぎればすぐに忘れてしまいますが、一日の中で、一番頭にスンナリ入って、覚えた事柄に持続力がつき、脳が活発に動くのはやはり早朝です。

 

 早朝の空気を吸い、目覚めの新鮮な脳をふんだんに使いこなすのが、身体にとってもリズムを刻み込むのにも最適なのだろうと思っています。

力がみなぎるし,
     リズムにも乗ってるぞ~!

 
  いよいよキャンペーンが始まった。
 めったにない四連休でしかも政府からお得な補助が出る。
 全国的に第二波の感染が広まっていることを思うと、うかうか旅行を満喫する気分にはなれないと思うのだが、破格にお得な補助をもらえるならば、少々の危険は覚悟の上で贅沢気分を味わいたいのかもしれない。
 
 例え当日、少々熱があり、気分が良くなく、味覚も臭覚も無くなろうとも、家族の喜んでいる姿をみれば、「今日は止めようか」なんて絶対に言えない。
 
  しかしよくよく考えればこのお得な補助は全て国民の税金なのだ。
 うがった見方をすれば、感染拡大の為に税金を使っていると思えるのは、うがった見方が過ぎるのであろうか。
 
  そりゃあ観光業、特に旅館経営には久しぶりの収入の機会で、これを見逃す手はありません。
 
 しかし、2週間後に果たしてどんな結果が現れているのやら、心配です。

行きは良い良い、帰りは……

◎昔の葬儀は必ず自宅でありました

                                           R2/7/22                            

 

 今は、JAや民間葬祭会館で行われる葬儀が殆どですが、昔は必ず自宅でありました。

 

 今は、仕上げはお弁当が殆どですが、昔は必ず仕上げの席に着きました。

 

 死場組のご婦人方の腕のふるいどころで、仕上げの料理は精進料理で、豆腐の入ったすまし汁に煮物、特に大きな油揚げが必ず入っていました。

 その油揚げの塩加減が地区によって皆違いました。

 

 悔やみを受ける場所が、違う家に設けてあればよいのですが、大抵が遺体が置いてある部屋と隣り合わせの次の部屋が当てられました。

 すると内諷経読経の最中に、悔やみ受けの挨拶とか全部聞こえてきます。

 

 台所のご婦人方も久しぶりに隣保が寄り合ったので、和気あいあいとなり、内諷経の葬儀中でも悲しい場であることをすっかり忘れ、かなり大きな笑い声が聞こえてくることもありました。

 あまりひどい時は注意をさせていただくこともしばしばでした。

 

 また、寄り方さんも少し離れた場所で集まり、葬儀中でも世間話がはじまり、どっと大笑いする声が聞こえたりしました。

 

 ついウッカリ葬儀という場を忘れて世間話に興じる気持ちも分からないのではないのですが、よく注意させていただきました。

 

 困るのは、役僧で呼んだ他寺の住職さんが、悲しい場なのに面白話をされ、悲しい場なのに悲しい顔を作れない、むしろその話を思い出し、微笑んでしまうこともよくありました。

 誠に申し訳ないことでありました。

 

ここで思い出し笑いをしてはいけない

◎葬儀も変わり、墓事情も変わりました

                                               R2/7/21

 

 

  昔のお葬式は土葬なので大変でした。

 

 つまり遺体のままお墓に入れるので、結構穴掘りの1人当たりの遺体墓面積は大きかった。

 現在のようにドライアイスなどない時代は、日を置くほど匂いがすごかった。

 

 当時は隣保で死場組を作り、穴掘り役が当番で当たると、穴を掘るのも大変だったと思う。(私は体験していませんが)

  雨が続いて、湿った泥なら掘りやすかっただろうし、逆に天気が続いてカチンカチンに乾燥した泥など、 穴掘りも労力が半端ではなかったのではないでしょうか。

 夫婦墓なら二人分が入る相当深い穴を掘らねばならなかった。

 

 葬儀が終わると、即行列を作り、棺桶を担いでお墓に直行しなければならない。

 現在のように遺体を焼いて、即遺骨にするのであれば、49日まで、あるいはそれ以上遺骨を祭壇に飾っておくことも可能だけれど、昔はそうはいかなかったのです。

 

 土砂降りで雷雨の中でも、台風が来ていても、大雪で猛吹雪でも行列をやめる訳にはいかなかったのです。。

 特に長いくねくね道の急斜面で、大雪で滑り易い、危険な道をどうやって行列で登られたのでしょうか。

 多分滑落事故もあったのではないでしょうか。

 

 平成の初め頃まではまだ土葬が残っていました。

  私が体験したその最後の土葬が、普通に登るだけでも30分はかかる急なくねくね山道を、雪が10㎝ほど積もっていた中をどうやってのぼられたのでしょうか。

 

 そのお宅も、現在は家の近くで総廟です。

重労働でした

◎思い起こせば命拾いはまだまだある

                                               R2/7/20

 

 20代の頃でした、スキューバダイビングをしていました。

 

 式根島や真鶴の海岸へ仲間とよく出かけました。

 魚貝を捕りその場で調理、火をおこしてその場で食べる、アツアツの食材をフーフーしながら頂く、潮の匂いと味を満喫していました。

 

 海に潜ると別世界が拡がります。

 ゆらゆら海中を漂うと、まるで空を飛んでいるような錯覚に陥ります。

 岩穴に潜むタコや魚、特にウツボは初めてたべましたが、淡泊な味で美味しかったことを覚えています。

 

  確か真鶴だったと思いますが、ウェットスーツと肌の間にはほんの少量の水を入れていますのでそれが体温で暖まり、海水の温度には関係なく長時間潜ることができるのです。

 

  それはお風呂の中で長時間つかっているのと一緒で、確か1時間の酸素ボンベで40分を過ぎた頃だったのですが、突然身体に力が入らなくなったのです。

 入浴の際の「のぼせ」状態と同じです。

 

 頭がボーッとしてきてそのままでは、死へ一直線に向かうところでした。

  たまたま仲間の1人が目撃して、急いで海岸に戻り漁協に連絡、すぐに救助の船が来て助かったのです。

 

  意識を失いつつある中で、このまま死んだとしても、苦しくなくて、楽にいけそうだな、

 老衰で死ぬのはこれかなと思いました。

海の中は別世界

   船内での食事は食べられなかった
             R2/7/19
 
 桂林の川下りは、まるで水墨画の絵の中を歩くが如くで情緒たっぷりなのですが、11月だけはいけません。
  11月の桂林の川は乾期で少雨期なので、川に水がありません。
 
 その時期に10人のお坊さんの団体が川下りの船に乗りました。
 川の水が極端に浅いので、川底に船底がついて、なかなか脱出出来ない船もあったほどです。
 
 この時期でも一日数十隻の船が出ているとのことでした。 
 
 私もでしゃばりですから、聞かなくても良いことを、通訳さんに、つい質問してしまいました。
 
  川の水が少ないので、川の透明度は全くありません。
 
 「船のトイレの排水はどうなっていますか?」
 「はい、そのまま川に放流です」
 それは川の水が濃厚であることを意味しています。
 
  そして衝撃の一言。
  
  「料理の水などは川からくみ上げています。」
  
   考え込んでしまいました、そして遂に見てしまったのです。
   船尾で料理が作られていましたが、確かに川の水をくんで料理しているのです。
 熱処理だから何も心配いらないと言わんばかりに料理ができあがって行くのだが。
  
   そして料理が運ばれた食事に、皆さんはおいしそうに食していらっしゃったのですが、卵スープの黄色い黄身のヒラヒラを見た途端、私は全く食欲が失せました。
 

船が数十隻、数珠つなぎ状態です

◎怒ったらどうなるかわからぬ中国人

 

  平成初めの頃ですが、道元禅師が修行をされた中国の天童寺へ10人ほどのお坊さんの研修旅行に参加しました。 

  文化ショックというか、文明ショックというか、大変な衝撃を受けた。

 

 まず上海、交通の主体は自転車だった。

 朝の通勤ラッシュ、自転車の海の中を、車が警笛を鳴らしっぱなしにして、申し訳なさそうに自転車の間を進んでいる。

 信号があっても何の効果もない。

 

  さて、帰国の日、空港へ向かう時間が少し遅れて、通訳がバンの運転手さんに遅れている事情を話し、「少し急いでくれないか」と頼んだ。

 

 運転手さんは「ヨッシャー」とばかりに速度を上げたのだが、運悪く、すぐにスピード取り締まりに捕まってしまった。

 

 その後の運転手さんは、顔が閻魔大王のようになり、ちょっとしたカーブで横転しそうなほどの暴走を始めた。

 

 対向車の激しいクラクションに目を向けると、わたしどもの車がカーブで前の車を追い越して反対車線に入って、対向車の運転手の驚きと悲鳴が聞こえてきそうな顔がすれ違った。

 皆が、思わず「あーっ、ぶつかるっ」と顔を何度も覆ったほどの乱暴運転だった。

 

 まるでパトカーに追われている人質誘拐凶悪犯人の運転で、そりゃあめったに体験できるものではございません。

 貴重な体験といえばそうかもしれませんが、できれば絶対体験したくない体験でございました。

 

 空港では、呆然自失状態であったが、お陰で飛行機には余裕で間に合った。

  人間は、何でもないことで突然、命拾いをするものだと思いました。

オリャー、どかんかい!

◎「またコロナか」と言われそうだけど、

                                       やはりコロナです

                                                       R2/7/17                        

 

      先般、米子で感染者が出たのに、今度は出雲で発生。

 またよりによって発生源が、新宿の劇場クラスターでした。

 

  批判を恐れずに申し上げれば、この感染県立女子大生は決して悪くありません。

 県をまたいでの移動を許した政府の責任です。

 感染拡大のリスクを解っていながら、経済復興のため我慢出来ずに、コロナ感染自粛を         緩和した政府の責任だと思います。(もちろん政府の気持ちはよく解るのですが)

 

 感染したいと思ってその劇場に入った方などいません。

 たまたま運悪く政府の施策の犠牲になったのです。

  

 アメリカやブラジルを見れば解るように、コロナを軽視して経済復興に突き進む国がど     うなっているかというと、アメリカでは 一日の感染者数が約6万人という目も当てら    れない状態です。

 

 全国で6百人なんて、アメリカの6万人に比すれば0に等しいような数に思えますが、  そのまま米国方式で、経済復興だけを意識し過ぎて邁進すれば、あっ という間に膨な  感染者数になるでしょう。

 

 「GO to キャンペーン」は東京を除くことで決着したようです。

 昼間は一緒に仕事をしているのに、東京と生活圏を共にする近隣県はセ

 ーフで、東京だけを排除するなんておかしな話です。

 7/22からのキャンペーンは、後で「しまった」と後悔する確率がか

 なり高いと思えるのですが、皆さんはどう思われますか?

 

表面はあくまでも強きだが

◎隣国同士のイスラム教の信心深い王様同士がけんかとなり、戦争に発展した。
                       R2/7/15
 
  さて、ここで問題です。
 A国とB国、どちらの王様も信仰深いイスラム教徒ですので、どちらも同じアラーの神に祈った。
 「アラーの神よ、今回の争いは絶対に向こうが悪いのです。どうか我が国が勝利出来ますようにお願いをいたします。」
 両方の王様が同じようにアラーの神に祈った。
 もし皆さまがアラーの神であったら、AとBのどちらに勝たせられますでしょうか。
 
    私? 私でしたら知らんぷりという解決方法をとります。
 そしてソレがベストだと思います。
  なぜなら、イスラム教の信者は祈るときに「インシュ アッラー」とお唱えします。
 仏教で言えば「ナンマンダブ」のお唱えごとと同じです。
  「インシュ アッラー」は、「神がお望みなら」という意味です。
 つまり戦争に勝っても負けても「神がお望みなら」と、どんな結果になろうがそれぞれが納得するのです。
 
 随分聞き分けの良い信者ですが、その点神様は楽ですよね、何もしなくても信者が勝手に納得してくれるのですから。
 
 お酒には厳しいイスラム教ですが、戦争に負けた時だけは、やけ酒を飲んでも許されます。
 
 「飲酒、アッラー」             冗談ですよ~!

インシュ アッラー

◎第三墓地の駐車場を挟んで東側の山斜面が崩落しました

所のこととばかりと思っていたら、当山でも被害が出ました。

高さ7~8メートル、幅6~7メートルにわたって山の斜面が崩落しました。

 弘長寺も平地ではありますが、結構急斜面の山に囲まれていて、崩落の危険個所が多数あって心配です。

 役場支所に連絡をして、災害補償がもらえるかどうか担当者においでいただき、写真撮影後、帰って検討するとの返事を頂きました。

 土砂撤去は檀家の業者にお願いすることに依頼致しました。

 一番危険個所はお風呂場の上の崖ですから、副住職にも夜中の入浴は控えるようにと告げておりましたが、まさか墓地の前が土砂崩れするとは。

 

 まさに青天の霹靂でした。

 

 

          R2/7/14
 ★少し一休みしましょう(休んでばかりですが)
 
    知恵一つでまあるく収まるお話です。
 ネットからの全くのコピペです。(ゴメンナサイ) 
 
   頭の体操です。
 
  ラクダを17頭所有していた老人が,遺言を残して亡くなりました。
 その遺言には,「長男に2分の1,次男に3分の1,三男に9分の1となるように分けよ」とありました。
 
 ところが,17は2でも,3でも,9でも割り切れません。ラクダの身体を刃物で切り取って分けることもできず,兄弟たちは困り果てていました。
 
 そのとき,村を通りかかったお坊さんが,「私のラクダを1頭貸そう,18頭になるから分けられるだろう」と言ってラクダを1頭貸してくれました。
 
 18頭を長男が2分の1の9頭,次男が3分の1の6頭,三男が9分の1の2頭を受け取ると,1頭余りましたので,お坊さんにも返すことができました。
 
 皆が納得できて、しかもお坊さんも損することなく,まさに,メデタシメデタシということですね。
 
 皆がお坊さんの知恵に感心するとともの,お坊さんの名声も国中に広まることとなりました。
 

◎パロディー 「雨ニモアテズ 」

                               どこかの校長先生 作

                R2/7/13

 

   雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモアテズ

   ブヨブヨノ体ニタクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ遊バズ

 朝カラアクビヲシ 集会ガアレバ貧血ヲオコシ

 アレユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノシラズ

 コンナ現代ッ子に ダレガシタ 

                                 産経新聞より

 

  実はこんな一昔前の現代っ子が、今親になり

 「モンスターペアレント」になっているのです。

 

先生タジタジ

                                     R2/7/12
  「今まで経験したことがないような大雨」最近は数年、続けてこの言葉を聞いているような気がします。
 建てたばかりの家だってあったでしょう、それが2階まで濁流が来て、家電製品は泥まみれ、使い物になりません。
 中には流された家もあります。
 
 電化製品や畳やふすま、障子などを満載したトラックが、ゴミ置き場で渋滞して数時間待たせられる状況が生まれています。
 
 おまけにコロナ対策でボランティアも呼べないので人手不足。
 そして次の氾濫の危険性も迫っている。
 水道が出ないから泥を流し出すのも困難です。
 そしてそのまま乾いたら、今度は乾燥した泥の粉塵ですごいことになります。
 
 まさに泣きっ面にハチです……他人事ではなく、明日は我が身です。 
 
 「ここにはもう住めないかもしれない」インタビューに答えた方がポツリとつぶやかれた。
 でも、じゃあどこへいけばいいんだ、ということになります。
 
 川の傍にいれば氾濫に遭う、山の下に住めば山崩れに遭う、海の傍に住めば高潮・津波が、高台に住んでも台風・落雷・たつ巻が、どんな所に住んでも震度9クラスの大地震が来たらおしまいです。
 
 大自然ばかりではありません。
 米中対立で、もしその間にある日本が火の粉を浴びることもあり得ますし、その間隙を縫って北朝鮮から核弾頭が飛んできたら、それこそ日本列島全てアウトです。
 
 住民の皆さまの嘆きを見ていると、よそよそしく頑張れなどとも言えません。
 静かに神仏に祈るしかありません。

この橋もあぶない!

◎同じ南無阿弥陀仏なのに、師匠の法然様より

               弟子の親鸞様への信者が多いのはなぜか

                     R2/7/11

 

  確かに浄土宗よりも、東西本願寺を合わせたら日本で最大の宗派となるのが親鸞様の浄土真宗です。

 

 だから本心を覗くと、浄土宗の信者の方は複雑な心境ではないでしょうか。

 

 「本家本元はこちらだぞ」と、おそらく喉元まで言葉が出ているのではないでしょうか。 その気持ちはよく解りますよね。

 

 では何故親鸞様の方が人気が出て、信者数も格段に多いのでしょうか。

 それは、法然上人様は比叡山で修行中から天才と言われてきて、当時から偉いお坊様と思われていました。

 そうです、妻帯もせず、戒律を守る偉いお坊様だったのです。

 

 それに引き換え、親鸞様は余りにもドラマチックで破天荒で、法然様とはまるで正反対の極にいるがごとき存在だったのです。

 

 自分は決して偉い人間ではない、出家はしているが半僧半俗であり、妻帯もする。

 自らを破戒僧と自覚し、三度の結婚で女犯し、多数の子供をもうけました。

    生真面目過ぎて近寄りがたい人よりも、少しヤンチャで、ちょい悪オヤジみたいな人の方に惹かれる女性が多いと聞きますが、(例えが悪すぎるという声あり)そんな感じなのではないでしょうか。

 

 法然様の教え「南無阿弥陀仏」を唱え、有名な「悪人こそが救われる」という悪人正機説を唱え、実は法然様の教えであったという説があるが、謎めいた生き方もあり、宗教的、哲学的に独自の高度な南無阿弥陀仏を展開された。

 日本人は昔から判官(ほうがん)びいきの傾向があるので、偉いお坊様より、破戒僧と居直る親鸞様により魅力を感じたのではないでしょうか。

お陰で今年は豊年だろ?
いや、知んらん

◎東京感染者224人、過去最大数がでた

              R2/7/10

  昨日はフェイントで75人だったが、本日は過去最高の224人です。

 神奈川25人、埼玉22人、千葉22人、大阪30人、全国でも355人と軒並み高数値となっています。 

  7月10日から野球もサッカーも上限5,000人迄は観客OKです。

 本当に大丈夫なのですか?

 

 球場クラスターとか発生しないでしょうかねー。

 最近浮かび上がった「空気感染」…エアコンがあってもなくても球場でファンが熱狂すれば、もし空気感染なら目も当てられない結末となりそうな危険を感じます。

 

 自然気象は荒れ狂い、コロナも荒れ狂ったならば、ダブルパンチもいいところです。

 おまけに首都直下地震の噂や南海ドラフの噂も気になります。

 

 トランプさんを見ていると、「ホラ見たことか」と思うのですが、小池さんや西村さんが「ホラ見たことか」にならなければよいのですが。

観客なしでは調子狂うぜ!

                 R2/7/9
                                                      
     たまには真面目に仏教のお話をしましょう。
 
 仏の名を呼ぶことによって、極楽浄土に往けると説いた法然上人はすごいと思います。
  
  奈良時代の仏教は哲学を勉強する学問中心の仏教でした。
  
  そして平安時代に入って弘法大師様が大日如来を信仰対象にされたのだが、印を切って真言を唱え、山岳信仰・山岳修行と、国に対する祈祷(国家仏教)に力点を置かれたので、奇跡を起こしていた弘法大師様への信仰は強くなったのですが、大日如来そのものへの熱烈信仰には至らなかった。
  
  また天台宗も総合大学として庶民には理解しがたく、山岳信仰・山岳修行を主張し、やはり国家仏教であり、特定の仏を積極的に信仰対象としなかった。
 
 空海様も最澄様も視点は国や貴族だったのです、つまりは出世指向だったと言えます。   
   だからいずれも、庶民に取っては難解で高値の花であり、とりつきにくい仏教だったのです。
  
  そこへ平安末期に、阿弥陀仏を信仰し「南無阿弥陀仏」を唱えるだけでお浄土に往けると、説かれたのが法然様です。
 
 当時庶民は識字率がゼロに近かったところへ、庶民誰でもが明快に理解可能で受け入れやすい、「他力本願」を説かれた法然様はスゴイと思います。
 
視点が庶民に移ったために、当然爆発的に浄土信仰が勢力を増していったのです。
  
  難しい仏教を、お浄土をたやすくイメージすることができて、「ナンマンダブ」を唱えるだけで往生できると説いた法然上人はすごいと思います。
  
  仏教を庶民の手に導かれた功績は偉大です。

庶民と仏教を繋いだ法然様はスゴイ

 
           R2/7/8
 
     またまた 脱線してちょっと一休み
 
 東京は6日連続100人超えとなりました。
 相変わらず夜の街関連が多いのでしょうか。
 
 あくまでも私見なので、不謹慎だと叱られそうな気がしそうですが、非常事態宣言解除となった途端に、歌舞伎町に人がワッと詰めかけた。
 
 本能に直結する色欲が、長期に亘り強制抑制を受けた後の解除ですから、「車は急に止まれません」の如く、少々コロナの危険があろうとも、歌舞伎町という甘い響きには適わないんでしょうね。
 
 何せお金さえ払えば、頭のはげ上がった(私もそうです)キモいおじさまでも、女性とアルコールを飲みながら「お客様は神様です」のハーレムスタイルで遊べる訳ですから、こんな楽しいことはないんでしょうね。(私には詳しいことはよく解らないのですが)
 
 そういう男性には何を言っても、無駄に近いのではないでしょうか。
 
 「三密は避けて下さい」という声も、「何だって?三密ってのは、ハチ蜜、あんみつ、壇蜜のことか?」と都合の良い響きにしか聞こえていないのではないでしょうか。
 
 歌舞伎町は、ロックダウンしなければ、コロナ感染はなくならないと思います。

ハーレムだぜー!

 

◎コロナ渦で詰まるところは、

   人の命と経済活性のどちらを選ぶかということです

                         R2/7/7

 

 withコロナという便利な言葉が勢いを増していますが、「コロナと共存をする」ということですよね。

 つまりワクチンや治療薬ができるまでの間に、コロナを押さえながら、ダメージを受けた経済をどう復活するかということです。

 政府や東京都は、コロナの顔色を見ながら不安定な自転車操業をしています。

 早い話が、少々の犠牲は出ても、これ以上経済活動を止めることはできませんよ、ということです。     

 だから都知事が、東京に連続で100人超えようとも、この裏には経済復活があるのだから、当然でしょ、なんてことありませんよという顔になってきた。

 

 押さえ切れていないのに、選挙がせまっているから博打に出て、経済復活のため全面開放策により、毎日5万人の感染者を出しているのが現在のアメリカ、トランプです。

 5万人の感染者をだしていながら、「コロナ対策は成功している」と、選挙までは故意にウソをつき続けるのです。

 5万人に比べれば100人など、確かに可愛いものなのかも知れません。

 

 世界のワクチン開発者は激烈な競争だそうですが、本当に副作用も無く安心なワクチンが完成するのは最低でも2年はかかるそうです。

 でもそんなことをしていたら経済がもたないので、これも博打で、患者に治験をしながら生煮えのワクチンを使うことになるのでしょう。

 

 コロナは、命とは何か、命の重さとは何か、経済とは何か、経済と命を天秤にかけたときの重さはどちらなのか、深く考えさせられます。

 現在の「命」の価値は、かなり暴落しているような気がしています。

 

 

やはり経済も大事だ!

◎自然の猛威の前には、

    人間は全く無力にならざるを得ない

               R2/7/6

 テレビに映し出された次々に襲い来る球磨川への線上降雨帯の恐ろしさに身震いがした。

 9メートルの浸水で急濁流、屋根の上で救助を待つ人々、おそらく生きた心地がしなかったのではないでしょうか。

 車が逆さになり、車も屋根しか見えない状態、養護老人ホームも1階が浸水、多くの犠牲者がでた。

 もちろん、梅雨の時節で、大雨が降るのは当たり前なのかも知れませんが、2年前の岡山・真備町も含めこの線上降雨帯による被害が多くなってきたような気がします。

 

 今回は気象庁の緊急警報も後手に回った感があります。

 しかも3時、4時頃という深夜の突然の緊急警報に気づく人も多くなかったのではないでしょうか。

 

 私は、この異常気象は少なからず、悪魔のようにしか見えないトランプ大統領を筆頭に、世界の自己中リーダー達が、自国利益のみを追求して自然環境破壊の暴走に深く関わっていて、人的災害の要素が多いということを決して忘れてはならないと思っています

 

 

命からがらです

◎そうでしょ、コロナを甘く見ると痛い目に遭います

               R2/7/5

 7/4は、東京で131人の感染者、3日続けての100人超えとなりました。

 東京隣接県」は、3県で62人、大阪も17人、全国でも感染者が拡散しています。

 今日は都知事選投票日なので、小池知事はあまり刺激的な対策が取れないのでしょう。

 彼女の口からは、モヤモヤした言葉しか出てきません。

 全国でも更に感染者が増えていきます…一体どうなるんでしょう。

 

 更に追い打ちをかけるように今冬は新型豚インフルエンザが流行しそうだとのことで、コロナとのダブルパンチパンデミックになりそうです。

 

 アメリカ、ブラジルやその他の国々が初期対応を失敗した上に、その対策がちっとも功を成さない中で、経済復活だけを焦り、対策を緩和したり解除した結果、見るも無惨に軒並み感染者を大量増産して更に痛い目に遭っています。

 日本も少し感染者数が落ち着いたからといって、もっと慎重に構えれば良かったのに、経済復活を焦ってその国々の真似をする必要など本当はなかったのです。

 ただ、その気持ちはわかります、貧乏国になったので、ここで経済を何とかして高得点をあげないと、初期対応を見誤った政府のミスだけが浮き彫りになりますものね。

 

 毎年のように超強力なウィルスが出てきて、コロナや新型豚ウィルス等、ダブル・トリプルどころか何種類ものウィルス地獄に陥れば、人類は危ないのかもしれない。

 希望に満ちた文章を書きたくても、こう毎日不安材料ばっかり発生していては無理ですよ~。

  

 

今年の冬は国民に
    マスクをもう一枚送っとこう

◎脱線ついでに大脱線してみよう

                                        R2/7/4

 

 さて、レビー小体型認知症の義母の続きです。

 

  昼夜が逆になり、徘徊も始まりそうな勢いとなったので、妻と交代で、夜、義母の監視をすることになりました。

 毎晩義母の隣の部屋で、フスマ1枚隔てて監視しながら寝ることになったのです。

 

  義母は、夜通し寝かせてくれませんでした。

 10分おきに、自室から私が寝てる隣の部屋にやってきて、わざわざ灯りをつけて私が布団の中にいるのを確認してから、すぐ消灯し、自室に帰っていく。

 

 それを一晩中繰り返すのです。(昼は熟睡なので、夜は元気いっぱいです)

 

 妻も同じ目に遭っていたので、相談して、これは睡眠不足で身体がもたんから、お互い昼寝をしっかりしようということになった。

 

 そして事件は起きたのです。

 

 妻が監視する夜でした、昼寝に失敗して寝不足で布団に入った妻が、ガサゴソという物音で夜中に目を覚ましたら、義母が妻の上にまたがり、着物の尻をからげて、まさに行為に及ばんとしているところでした。

 「ちょっとおばあさん、何しちょーかね」ビックリして大声で義母をはねのけ、突き飛ばしたそうです。

 「エ・エ~ッ? ここはトイレじゃないのかいね。」

 

 翌朝、不眠とショックで目を真っ赤に腫らした妻が、

 「もうちょっとで便器にされるところだったわ」とフンガイしていた。

 

 数日後、義母には申し訳なかったが、施設に移ってもらうことになった。

本人はこのつもりだったんです

◎お坊さんになってから一番自信を失った日

                                                                          R2/7/3

  10年位前、大晦日と正月に大雪が降ったことがある。

 義母が大晦日に倒れて、精神的にもおかしくなっていった。

 

 義母の部屋のふすまや障子から手が出たり、足が出たり、知らぬ人の顔が出たりする。

 「お化けが出て困るので、この部屋を拝んでくれんかね。」

 

 「任せといて下さい。」

 私は早速、経机を置き、衣とお袈裟で身支度をし、線香を立て、義母の前で馨子(鐘)と木魚で丁寧に長時間、読経をしました。

 

 翌日「あれだけ拝んだのだから、お化けは出なかったでしょう」と自信満々で義母に尋ねたら、「何がねあんた、一晩中、余計にもっと沢山出るようになったわ」と答えが返ってきた。

 

 この時ほど仏教者として、お坊さんとして完璧に自信を失ったことはありません。

 私の法力もこんなものであったか、すっかりしょげかえってしまった。

 

 お化けだらけで、一晩中寝られないと疲労困憊を訴えるので病院に連れて行った。

 するとお医者さんの診断は、「これはレビー小体型認知症です」。

 

  初めて聞いた病名だったが、症状がアルツハイマーの十倍の進行速度がある痴呆症の病で、特徴は障子から手が出たり、足が出たり、知らぬ人の顔が出たりする、怪異現象が出現する病です、と告げられた。

 

 つまり、いくら読経をしようとも、どんな処置をしようとしても、化けものが出現する病だったのだ。 

 「良かった、私の法力とは全く無関係であった」すぐさま自信を取り戻すことができた。

こんなのが一晩中出たら、
そりゃ寝れん!

◎命をいただいた生き物は、やはり命が惜しいんです

                                                         R2/7/2                        

 

 信仰深いおばあさんが、いつもお詣りするお寺の本堂の前で手を合わせ、「仏様、どうかピンピンコロリと死ねますように」と大きな声で祈っていた。

 

 すると、本堂の中でそれを聞いていたいたずら好きな和尚が、「よしよし、ばあさんや、あんたはなかなか信仰深いから、本日その願いを叶えてやろう」

 声色を使って答えたら、おばあさんは「ヒエ~ッ、仏様、なんぼなんでも今日は困ります~、 あと10年待ってくだせ~」と逃げ出していった。

 

    歳をとっても命は惜しいのです。

 

 お釈迦様は、歩くのにいつも下を見つめ、蟻を踏み殺さないように注意を払われたそうです。

 我々はどうでしょう、おそらく今まで何百匹の蟻をうっかり踏み殺したことか。

 それどころか、蚊が飛んでくれば平気でパチン、ハエがいればハエたたきでパチン。

 ゴキブリガ出てくれば、ソレッとパチン、どれくらいの生き物の命を奪ってきたことか。 それどころか、毎日牛肉や豚肉、鶏肉を、直接手がけてはいないけれども、その命をいただいているのです。

 どんな生き物だって殺されるのを望んでなんかいません。

 どんな生き物だって命は惜しいはずです。

 キリスト教では他の命を奪わざるをえないことを、原罪というのでしょう。

 他の命をいただかないと、この命を養うことはかないません。

 

それを当たり前と思わずに「私の命のために、動物さんたちごめんね、有り難う」とほんの少しだけ謝罪と感謝してから命をいただくことが、本当は大切ではないでしょうか。

いたな、人類の敵め!

◎コロナが東京で再び息を吹き返している

                                                                            R2/7/1

  6月30日の感染者は、東京54人、神奈川31人、埼玉10人です。

 特に東京は5日連続で50人以上、その半分は感染経路不明です。

 

 経済復活のため全面解除で、県をまたいでもOKですから、やはり当然の結果でしょう。

 コロナの感染力を甘く見てはいけないと思います。

 潜伏期間を考えると、あと1~2週間位したら全国でどんな数になるか恐ろしいです。

 

  アメリカやブラジルは1日4万人で増加しています。

 日本とは桁が違います。

 トランプ大統領がコロナの脅威よりも経済復興へ走った結果です。

 

 特にブラジルは検査数も少ないから、まともな数値が出ていないので、氷山の一角だそうです。

 インドも感染者が多いし、南アフリカ、南米もパンデミック増加中です。

 とても世界がこのような状態で推移するなら、来年のオリンピックはおそらく無理でしょうね。

 

 ワクチンができても貧困層にはまわらないというのです。

 

 このコロナが怖いのは、2回の陰性が出て退院しても、後遺症に悩む方がものすごく多いそうです。

 一見退院者数だけを見ると、完治して退院と思いがちですが、病院から退院を言い渡されても、自宅療養となる方が多く、必ずしも症状が完治して退院するわけではないのです。

 コロナとは長い付き合いになりそうです。

こうだと良いのですが

◎トランプも金正恩も目ではないトンデモ大統領がいた

                                (ちょっと本日は一休み)      R2/6/30

 

 それはブラジルの ボルソナロ大統領です。

 この方のおったまげ発想は完璧に常人の域を超えている。

 ネットからの転載で申し訳ないのですが、こんな感じです。

 

 

 

コロナ対策では、

「人々が自動車事故で命を落とすからといって、自動車製造工場を閉鎖することはできない」

「私たちのうち90%は、新型ウイルスに感染しても症状が現れない」

「新型コロナウイルスは、軽いインフルエンザか、ただの風邪程度だ。マスコミは、各国の事例を最大限に言いはやし恐怖をあおっている」

「新型コロナウイルスには(国民の)70%が感染する。どうすることもできない」

「(死者が5000人を超えたことについて)それで? 残念なことだ。でも私にどうしろというのか」

「悲しい状況だ。多くは高齢者だが、愛する者を失った家族に同情する。でもこれが人生、あすはわが身だ」

 

 閣内から異論が出て、外出禁止や商業活動の自粛など、常識的な対策を主張する保健相を2人更迭。軍人を暫定保健相に任命した。

 

「大統領、毎日想定を超える多くの感染者が死んでいっています。」と報告があれば

「それがどうしたというのだ、人は必ず死ぬ宿命にある」ですって。

ウーン、なるほどと、変に納得してしまうのだが、この大統領と比較すれば、阿倍首相はかなりまともに思えてくるから不思議だ。 

な~に、ただの風邪程度さ!

 ◎  誰もが認める本物の天才です

                                                  R2/6/29

 そうです17歳の藤井聡太七段です。

  快進撃、すごいですね。

 プロの世界で、高段者をバッタバッタと撃破する、痛快です。

 次々と記録を塗り替え、ゆくゆくは羽生七冠を超える棋士になるに違いありません。

 

 母親から東大へ入学しろと言われているらしいのですから、学業も優秀なのでしょう。

 普通、こういう天才だと面構えもキリリとして、人を寄せ付けない厳しさがある方が多いのですが、彼は全く違います。

 あどけなさが残り、柔和で温厚ですから、対局者も案外そこら辺で隙を作ってしまうのではないでしょうか。

 

 もちろん、若いからということもあるのでしょうが、発する言葉も謙虚で決して偉ぶらない、……ここが大事なところだと思います。

 

 「実るほど頭の垂れる稲穂かな」

 これを生涯徹底してもらいたいと思います。

 

 なぜならいくら能力が抜群でも、頭を垂れることが叶わなくて人望を失う残念な方が、逆に頭がフン反り返って人が寄りつかない惜しい方が、世の中にはわんさといるものですから……あ、すみません、私も能力がないくせに頭を垂れることを忘れる一人かもしれません。

 

 抜群の強さと謙虚さのギャップが、人気に拍車をかけています。

 人の価値は、一面では案外頭を垂れる謙虚さで決まるような気がしています。

 

  藤井君には、今のそのままで謙虚で無敵な生涯、天賦の才を思う存分全うしてもらいたいと思います。

 聡太君、ガンバレ!

謙虚さを失わない天才で!

◎「ケセラセラ」は魔法のことば

       

                R2/6/28

 70年も人生を生きていると、そりゃあ色んなことがありました。

 参ったなあ、どうすれば良いのだろう、あっちもダメ、こっちもダメ、八方ふさがりだ。

 どうあがいても、ニッチもサッチもどうにもならないことだってありました。

 

 そんなときの一番の特効薬は、開き直ることです。

 どうにもならんから、煮るなり焼くなりしてくれー。

 

 その時のことばが「ケセラセラ」です。

 ケセラセラ…なるようになれという歌の文句です。

 開き直ると同時にそのことばによって不思議と力がわいてくるのを覚えました。

 

    魔法の言葉です。

 

 その時はまだお坊さんではなかったのですが、今から思うとこれは仏様の冥力と同じだと思います。

 つまり、「南無阿弥陀仏」「南無観世音菩薩」「南無釈迦牟尼仏」と一緒ですね。

 どうにでもしてくれという開き直りの底力ってんでしょうか、それは「助けてくれる人があるならば助けてよ」という思いでもあったはずです。

 

 ペギー葉山さんの歌声が、そのとき開き直った耳に聞こえてきました。

 「ケセラセラ、なるようになれ」…そうだ、この歌だ、今の自分にピッタリの言葉だ。

 寝転んで大の字に投げ出した身体に何故か妙に力がみなぎってきたんです、不思議な言葉です、不思議な歌です、そして不思議な力でした。

 

 「ケセラセラ」は「ナンマンダブ」と同じ魔法のことばなのです。

 

ケセラセラさ!

◎「こちらから」の詩に学ぶ

          R2/6/27

 

  仏教詩人、坂村真民さんの詩に打たれたことがあります。

 

    こちらからあたまを下げる

 こちらからあいさつをする

 こちらから手を合わせる

 こちらから詫びる

 こちらから声をかける

 すべてこちらからすれば

 争いもなく

 なごやかにゆく

 こちらからおーいと呼べば

 あちらからもおーいとこたえ

 あかん坊が泣けば

 お母さんがとんでくる

   すべて自然も人間も

 そうできているのだ

 仏さまへも

 こちらから近づいてゆこう

 どんなにか喜ばれることだろう

 

     読めば読むほど「確かにそうだなあ」と思える詩です。

    こけんとか意地がじゃまをして、人間はなかなか素直に

 なれない生きものなのかもしれません。

 この詩を読むと自分のいたらなさをひしひしとかんじます。

合掌し、仏様に祈ってみよう

◎さ、お待たせいたしました

                      観音経のクライマックスです

                                                                                                    R2/6/26

 観音経には二つの重大要素がある、と申し上げましたが、一つは現世利益です。

 もう一つは、「私自身も仏であり、観音様に違いない」という主張です。

 

  現世利益は、イヤというほど認識できたでしょうから、もう一方に移ります。

 これはひろ先生の解釈なのですが、大体に菩薩様というのは変身の名人です。

 観音様は33の姿に変身されます。

 仏の姿はもちろんのこと、帝釈天や大自在天や富豪や、お坊さんや在家のままで修行する人や大人や子供、化け物に至るまで33の姿に変身されます。

 

 それは一体何の為に……私を仏にするためです。 

 法華経は28巻を通して一貫して、この私を仏にするために懸命に説いているのです。 

 ひろ先生は、観音様の変身の姿の中で4つの大事な姿がある、お坊さんや在家の方々、大人の男女と子供の男女だと説かれます。

 なぜなら自分の周りに普通に沢山いるからです。

 すると、私の前にいるあなたも、あなたも、観音様の変身をした姿だ、ということになります。

 何のために……私を仏に導くためです。

 

 とすると、私の前にいるあなたが観音様の変身した姿であるならば、この私も観音様が変身をした姿ということではないのか、何の為に……あなたを仏にするために。

 

 そうだ私自身も観音様なんだ、何のためかというと……あなたを仏にするためです。

 観音経が叫んでいるのは、「私は観音様が変身をした姿である」ということを強調したかったのです。

 

 私が観音様であるならば、「こん畜生」とか「殺してやる」などというぞんざいな言葉は使わないであろう 、私が観音様であるならば、拳をふりあげたり、刃物を持ったりしないであろう、あなたが私にキツい咎めだてをしても、私は観音様だから、寛容の心であなたに接しましょう。

私が観音様であるならば、観音様にふさわしい言動をせねばならない。

 

 どうです、観音経ってすごいお経で、ギャフンですよね。

 私は観音様なんだから、観音様らしく生きようよ、と呼びかけているお経なのです。

私は仏だ、ヘンシ~ン!

◎恒例の延命地蔵供養祭を厳修

                                                  R2/6/25

 

  毎年6月24日、門前にある地蔵堂に鎮座せる延命地蔵菩薩様の供養祭が執りおこなわれました。

 

 日中はうだるような暑さでしたが、夕方5時半からの開始時には、涼しい風が心地よい状態で読経できました。

 

 今までは、主に弘長寺地区の方のみの参加でしたけれども、本年より対象を全檀家に、護持会行事としてご案内を致しました。

 

 全員で「延命地蔵菩薩経」を読誦しました、家族に世話をかけぬよう元気で長生きができますようにとの思いを込めて。

               具体的に教えてくれ、ですって?
                                                                          R2/6/24
 
 
  了解です、やはり一番気になるところですものね。
  長くなりますから、主なところだけをかいつまんでみましょう。
 
 といっても、経典の中の9割近くは載せてあります。
 
  ★観世音菩薩の名を忘れない人は、たとえ燃え盛る火の中に入ったとしても、
     焼かれることはありません。                                               
  ★大洪水に襲われても、観音の名を称えたならば、たちまち浅い所に逃れられます。
  ★今にも斬り殺されるか、殴り殺されそうな時でも、觀世音の御名を称えれば、刀や棒       がバラバラになり難を逃れられます                               
  ★性欲に悩まされているのなら、いつも観世音菩薩を心の中に思い浮かべて、敬うよう       に心がけることで、その欲が心から離れて、悩むことがなくなるでしょう
  ★怒りを覚え、自分自身を苦しめている人は、いつも観世音菩薩を心の中に思い浮かべ       て、敬うように心がけていれば、腹が立たなくなるでしょう
  ★悪政に虐げられ、死刑を宣告されて正に刑執行の時、観世音菩薩の力をしっかり信        じていたら、振り下ろされる刀は粉々に壊れてしまうでしょう
  ★牢に閉じ込められて縄や鎖で拘束され、手足を枷で縛られても、観世音菩薩の力をし       っかり信じていたら、すぐさまそこから逃れられるでしょう
  ★誰かが呪いやまじない、毒薬で、危害を加えようとしても、観世音菩薩の力をしっ        かり信じていたら、その呪いは本人の元に返ってしまいます
  ★恐ろしい獣に取り囲まれ、鋭い牙や爪を持っていても、観世音菩薩の力をしっかり信        じていたら、たちまちにどこか遠くへ逃げていってしまうでしょう
  ★イモリやヘビまたはマムシやサソリが、毒の息や炎を吐き出していても、観世音菩薩       の力をしっかり信じていたら、どこかに行ってしまうでしょう
  ★雷が鳴り稲妻が落ち、雹が降って大雨になっても、観世音菩薩の力をしっかり信じて       いたら、その瞬間に嵐は静まってしまいます
  ★(観音様には)汚れなき清らかな光があって、その智慧の光は様々な闇を照らし、災       いである煩悩の風や火を鎮め、もれなく明らかに世間を照らし出します
 
  どうです、そろそろゲップが出てきそうでしょう。
 
  観音経はくどいほどに観世音菩薩の御名を唱え、そのお力を念ずれば、願いを叶えて下さいます、と説かれています

こんな時こそ「南無観世音菩薩」です

◎私は余程観音様にご縁をいただいたのです

R2/6/23

 観音様のご縁やいろいろな冥力により、父は一ヶ月程で全快し、私はすぐに修行に戻ることが出来ました。

 

 その修行の途中で、縁があってこの弘長寺に弟子養子で入りましたが、この弘長寺のご本尊様が、やはり観音様でございました。

 

 観音様は阿弥陀如来様の脇侍でいらっしゃいます。

 ひろ先生の解説によれば、お浄土では阿弥陀様が現役で説法していらっしゃるので、観音様は暇なのでこの現世世界に遊行に来ておられる。

 遊行というと遊ぶという字が使ってあるので、遊ぶために存在しておられるのかと思いがちですがそうではなく、お釈迦様が悟りを開かれた後、お亡くなりになるまで45年間も遊行説法の旅でありました。

 つまり、世の人々を救う利他行のことを「遊行」というのです。

 

 平成17年阿弥陀堂(位牌堂)建立時、阿弥陀坐像の体内から県重文級のお宝が発見され、阿弥陀様を修復して安置いたしました。

 その数年後、第三墓地に永代供養塔を建立しましたが、その塔の上には坐像の観音様を安置いたしました。

 

 つまり阿弥陀堂を中心にして本堂と永代供養塔には、脇侍として観音様を配置した形となり、寺院そのものが「お浄土」をイメージする伽藍となりました。

弘長寺そのものがお浄土です

 
                       R2/6/22
 
  私は修行僧となるには、年齢が35歳とやや高齢でしたので、本山に行かせてもらえませんでした。
「お前みたいな中途半端な人間は、本山では務まらんだろうから、地方僧堂に行け」
  右も左も解らぬ私は父の言うとおりにするしかありませんでした。
 
 実家のお寺は弟が後を継いでいました。
 
 修行が始まって3ヶ月が過ぎた頃、夜、実家のお寺から突然電話が入ったのです。
 弟からでした、「父親がくも膜下出血で倒れた、命が危ない状態だ、万が一のことがあるかもしれないので覚悟をしておいてくれ」
 
 まんじりとも出来ぬ夜を過ごした翌朝、作務(掃除)の最中に、なんと草履(道場での上履き)の紐が切れたのです。
    虫の知らせって本当にあるんだと思いました。
 
 僧堂の指導者:鑑寺(かんす)老師に事情をお話したら、「それは心配ですね、あなたのお師匠様のために祈りましょう」と自らも衣に着替えて、天竺殿にある平安時代に作られた金箔木像:手習い観音様の前で一緒に観音経を拝んで下さいました。
 
 鑑寺老師への有り難さ、観音様への有り難さに涙をこらえきれませんでした。
 
 直後に弟からの電話、「父は何とか持ちこたえている、ただ手術のため、遠方の病院へ移さねばならない、しかし今度はお袋が看病疲れで倒れそうだ。
 修行道場に依頼するので、しばらく看病に帰ってくれないか」
   私は修行3ヶ月で実家に帰ることになった
 

毎度、虫の知らせで~す

◎観音経を読み解いてみよう

                                               R2/6/21

 正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」というお経です。

 

 般若心経では、観音様が空という哲学を前半で説き、後半は呪文の神通力が説かれているお経でしたですね。

 

 この観音経は主として二つの重大要素を持ち合わせています。

 ★一つは観音様のパワーと、そのお力による現世利益を説いています。

 ★もう一つは、「私自身も仏であり、観音様に違いない」という主張です。

 

 さて今日は観音様の現世利益についてお話ししましょう。

 観音様を信じて、観音様の御名を唱えれば、どんな苦難も乗り越えられるし、命を失う程の危険からも救われる。

 「観音様のお力を信ぜよ」と、具体的な例を沢山お経に盛り込んであります。

 実は曹洞宗を開いた道元様も、中国での修行を了えて日本に帰る途中、嵐に遭い、あわや船が転覆せんとした時、道元様が船の舳先で観音経を唱えられたら、波の向こうに一葉観音様が現れ、やがて嵐が静まり、無事日本に帰ることが出来た、というエピソードが残っています。

 道元様は、日本に帰って初めて曹洞禅の道場を開かれたそのお寺の名を、「観音導利院興聖宝林禅寺」と名付けられました。

 私が修行した道場です。

 

 観音様は私たちを救い、仏の道に誘い、私たちを仏の身とするために、33の姿に変身をされます。

 だから、観音様の札所は33ヶ所です。

 

 実は、私も観音様に救われた経験があります。

 

信ずるならば、願いを叶えよう

◎ああ、木魚が孫の宝物入れになっていた!

                   R2/6/20

 

 木魚は木の魚と書く、何故魚を木で作り、それを読経と同時に叩くのか。

  魚というのは、本当は寝ているんだけれどもまぶたが無くて寝ていないように見える。 昔の人は、魚は寝ないと思っていたようです。

  だから魚のように、四六時中修行をせよとのメッセージがこの木魚に込められています。

 

 ところが、この木魚に関して、困った状態に陥った時期がありました。

 身近なものが次々となくなっていったのです、特にメガネが4箇はあったのに、悉く無くなっていくのです。

 その犯人は、当時2~3才だった孫(男の子)でした。

 私が本堂で作業をしていたら、孫が本堂に入ってくるのが解りましたので、驚かせてやろうと思い隠れていたら、何と彼が木魚にある穴にいろいろな物を詰め込んでいるのを見たのです。

 

 彼が本堂を出た後で木魚に明かりを入れてみたら、ティッシュや洗濯ばさみ、クレヨンやオモチャなどがいっぱい放り込んでありました。

 どうりで最近木魚の音の響き具合が悪いと思っていました。

 当然、メガネも4箇出て参りました、何かもうかったような気になりました。

 ただ木魚はパカッと開けないものですから、取り出すのに火ばさみや割り箸を使って相当苦労したのを覚えています。

 こっぴどく叱ってやりましたが、反省の色などなく「僕の宝箱、何でわかったの?」

   まいった!

 

ああまさか、孫の宝物入れに!

◎出棺の際、お棺の蓋締めをやめるわけにも行かない

                      R2/6/19

  葬儀出棺の際、昔は釘打ちという儀式があった。

 故人の霊が棺から飛び出て悪さをしたり、祟ったりしないように、四隅を全員が、石で釘を打ちつけるのです。

 そんなことをしたって霊は簡単に出入りすると思うのですが、気休めです、特に故人に対して生前、いじめたり苦痛を与えたような人に対しては、これで安心という儀式になったりしたのではないでしょうか。

 

 しかし最近、葬祭業者の一方的なやり方で、釘打ちが出来ない立派なお棺を作ってしまいました。

 仕方なく棺の蓋を4~50㎝の高さから全員の手で閉める、という儀式に変更せざるを得なくなりました。

 

 実はこれでめでたしめでたしという訳には参りません、遺族が多いと、コロナ問題では本来三密は避けるべきなのに、指だけでも蓋に触れようとギュウギュウの押しくらまんじゅうでお互いが濃密着されるのです。

 お別れの儀式で、お花飾りが終わり、司会進行する葬祭業者の係員が、「それではお棺の蓋を閉める儀式に入ります。」

 この時です、遺族親族が異様に多い葬儀では、その押しくらまんじゅうが始まります。

 「あーけー、私にもちょんぼし隙間を開けてごしないやい」と押し合いへし合いが始まったりします。

 この際には、三密なんて言っておられるかい、という独特の雰囲気が起きてしまいます。

 その剣幕の前では、「今日は蓋閉めをやめましょう」、などと言える状況ではありません。

 

    人生の最後のお別れに、泣きながら一心に別れの儀式を立派に務めようとされている皆様に「蓋閉めはやめましょうか」などと言ったら、ひっぱたかれそうな雰囲気になります。 

 島根では現在1人も感染者いないのだから、マスクさえしとればコロナへの用心よりも、悔いのない別れの方が大事だという切々たる思いは、僧侶の口も黙らせる力があります。

化けて出ちゃダメよ、
   しっかりと打ちつけたからね

◎あっ、流れ焼香ってそういうことなんですか!

                  R2/6/18

   葬儀で導師をしていると、後ろの会葬者の様子が全くわかりません。

 しかし、説明を聞いて納得しました。

 葬儀開始前・葬儀中にかかわらず、来られた方から順に受付だけをすませてから、そのまま焼香台に行かれて すぐ焼香をすませ、そのままお帰りいただくのです。

 

 なるほど考えましたね、三密を避けて、しかもしっかり名前を記入して、そのまま焼香が速やかに可能となる。

 長い葬儀に付き合うこともなく、あっという間に会葬のお勤めが終了する。

 

 遺族にとっても会葬者をお見送りする手間も省ける。

 いいことずくめであるような気がして、このやり方が定着しそうでありますが、つまりは全て「簡素化」に向かっているということになります。

 

 ではこのやり方に問題はないのかというと、やはりあるんです。

 それは、普通の葬儀ならば、導師が引導を渡して焼香した後で喪主焼香があり、代表焼香が終わって、会葬者をお見送りする遺族が焼香してから一般焼香に移ります。

 

 だから、このやり方の問題点は、導師や喪主より会葬者が先に焼香してしまうことです。

 苦肉の策とはいえ、本来はそんな失礼なやり方はあり得ません。

 焼香さえすれば良いというものではありません。

 

 結婚式に例えれば、披露宴で仲人さんの挨拶や乾杯の前に、参列者が早々とお酒や料理に手をつけているようなもんです。

 乾杯する頃には、泥酔者が「早くカラオケを歌わせろ」などと怒鳴っている。

 そこまでは行かないにしても、人生にとって葬儀は、結婚式と同等の大切で厳粛な儀式ですから、礼を失するのはいかがなものでしょうか。

 いや、結婚式より重大かな、なぜなら結婚式は人生の途中で2回、3回と数回なさる方がおいでになりますが、葬式は必ず人生の最後1回だけですから。

  礼を損じては、式の厳粛さも同様に損なうのではないでしょうか。

  まさかコロナが終束しても、このやり方が簡単だから、このままにしてしまおうなんて流れにならないでしょうね。

 

 だから、一見良さそうなこの「流れ焼香」を、はたして喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら、僧侶としては複雑な心境です。

  コロナは、人生の最後の別れの儀式さえも簡単に変えてしまった。

流れ焼香というなら、
   香炉の方が流れて来い!

◎地球、この星は不思議だらけ

         R2/6/17

 

  そもそも地球が自転していることが不思議だ

 それも24時間ほぼきっかりに一回転するなんて不思議だ

 

 誰が回してるのだろう

 

 お陰で昼と夜が大体半分づつ、お陰で昼間は、仕事をしたり、遊んだり、夜は疲れた身体を癒やして眠ることができる、不思議だ、生き物は必ず睡眠をとる,不思議だ

人間も身体の中に内蔵があり、脳があり、血管があるけれどその中を見たこともない

 

 不思議だ

 

  おまけに地球は太陽の廻りを365日でほぼ公転する、不思議だ

 

 誰が回しているのだろう、不思議だ、宇宙が生きている証拠だ

 

 お陰で四季があり、暑い時期もあり、寒い時期もある

 四季それぞれに日差しが違い、食物や果物もそれぞれ豊富だ

 当たり前と思っている事を、深く深く思いを極限まで煎じ詰めていくと、

 不思議以外のなにものでもなくなってくる

 

 夜空を見上げれば数えきれぬほどの満点の星空だ、何億光年という時を超えてやっと光が届いた星もある、不思議だ

 

 宇宙は不思議だ、不思議だらけだ、気が遠くなるほどの「大いなる存在」を感ぜずにはいられない、人間の知力ではとうてい理解が及ばない不思議な世界に、ただ今、命をいただいて生きている…不思議だ。 

宇宙:不思議すぎる

◎生死の中に仏あれば生死なし

 

  曹洞宗を開かれた道元禅師の言葉です。

 私が最初35才でお坊さんになったとき、訳のわからぬ言葉に出会ったのは、この言葉でした。

 

 これは道元禅師の九五巻という大著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の中から重要な言葉を選んでお経として仕上げた「修証義」の最初の部分に出てくる言葉であります。

 

 生死(しょうじと読みます)とは「人の一生」ということです。

 つまり直訳すれば「一生涯の中に仏あれば一生涯はない」ということになります。

 皆さん意味がおわかりでしょうか。

 私はさっぱり解りませんでした、先輩僧侶の方々に尋ねても解ったような解らんようなモヤモヤとした解答ばかりだったような気がいたします。

 

 やっと、こういう意味だったのかと解読出来たのは数年経ってからでした

 

 「人間の生涯は、楽しいことも散りばめてあるが、必ず苦しみに捕まる世界だ」

 お釈迦様の言葉です、故に四苦八苦という言葉を述べておられます。

 「しかしその苦しみの中にこそ仏になれる道があるのだ」と解かれました。

 とするとこういう解釈が当てはまります。

 「人間の苦しみの多い生涯の中にこそ仏になれる有り難い道が存在するのだから、それが理解できたならば、もはや人生は苦しいと悩むことはない」という意味だということが、やっと解りました。

 子供の頃、私も修証義を空で拝んでいたと両親が教えてくれました。

 そういえばそのころは、生死のことを障子だと思っていたような気がします。

 障子を破ったら、中から怖い仏様が出てきて、「コラッ」と怒られるような想定で拝んでいたような気がします。

コラッ!悪い子は食べちゃうぞ

◎やっぱりね、そうだよね、

          コロナはそんなに甘くないよね

 

 本日日曜日夕方の東京コロナ発表、47人感染でした。

 やっぱりね、そうだよね、そんなに甘くはないですよね。

 

  コロナってどこに潜んでいるか解らないのに、そして未だに東京で20人以上も毎日感染者があって、「本当に大丈夫かなあ」という多くの懸念の声がある中で、小池知事が「ほぼ全面解除しまーす」ですから、コロナが待ってましたとばかりに暴れ出しています。

 

 安心したり、また対応に苦慮したり、これが当分繰り返されるのだろうと思います。

 

 だって東京をはじめ、各地の感染が収まってくれないと安心はできません、羽田や八重洲、そして各地から島根に、多くの人々がリアルタイムで入り込んで来るのですから、とても安心どころではありません。

 

 たまたまラッキーな特性でコロナ勢力が弱ってきたのに、自分の手柄のように、「日本らしい対応で成功した」と口走った総理の言葉が忘れられません。

 

 山陰中央新報の社説で述べられたように、コロナ菌の種類に違いがあるのではないか、感染力、攻撃力、国によって感染程度や死者数が異なるのは、コロナ菌の成長度の違いも現れてきているのではないか、その研究も早く進めるべきだ。

 決して日本が正確な対応をしたから、弱まって来たのではないと、社説は主張していた。

 真っ当な論説だと感じ、賛同し納得した。

 

  アフリカやブラジル、アメリカもまだまだ爆発的に感染者が増加している。

 ワクチンや治療薬が完成して、副作用がないことが確認され、そしてそれが日本の隅々まで行き渡るまで、どれくらいの日数がかかるのだろうか。 

 

 「2・3年はかかるだろう」と予測する学者・研究者・医師が多いのですが、安心して元の暮らしに戻るには、世界的状況から本当は後どれくらいの年月がかかるのだろうか、47人という新たな感染者を確認し、ため息しか出てこない。

 

エーイ! 一網打尽だ!