●ホットダイアリータイトル一覧
2◎救急車で百件以上の病院をたらい回しされる患者の思いって…
5◎あの世の確かな存在を直に教えてくれたのは前日、葬儀を了えたばかりの亡くなった妻だった
17◎西村担当大臣がツイッターに「PCR検査も受け、陰性であることも確認した」と投稿
20◎コロナは経済だけでなく人々の善良な心も潰しにかかっている
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30◎「ギャーテーギャーテー」は仏の言霊(霊力)にちがいない
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★ここからホットダイアリー5
81◎自然の猛威の前には、
90◎隣国同士のイスラム教の信心深い王様同士がけんかとなり、戦争に発展した。
★ホットダイアリー6
108◎仏教は13宗派あれどもお釈迦様と同じ修行や布教をしている宗派はない
★ホットダイアリー7
★ホットダイアリー 8
153◎弘法大師様はここだけが惜しいと、個人的には思っている
154◎もしもという仮定の空想を考えるのは無意味なのだろうか
159◎親鸞様は当時、考えられない突拍子もない行動を取られた
★ホットダイアリー 9
164◎ コロナ打撃の困窮寺院に対して各宗派の宗務庁の対処は
167◎所詮、人間は生まれながらにして選択権を持ち合わせていない
★ホットダイアリー 10
199◎マスクのプラス効果がわかりました
★ホットダイアリー 11
213◎無料(ただ)でお寺をよくする方法
★ホットダイアリー 12
★ホットダイアリー 13
★ホットダイアリー 14
★ホットダイアリー 15
292◎中学・高校と進むにつれ、お寺に対する嫌悪感が強まった
297◎仏教は凄い教えであることを再確認
298◎このホーページの便利な使い方
★ホットダイアリー 16
304◎このワクチン不足では、とても五輪どころじゃないでしょう
319◎これからの仏教に必要なものは何だろう②
320◎東日本大震災から10年
★ホットダイアリー 17
★ホットダイアリー 18
人々の善良な心も潰しにかかっている(R2/5/2)
恐ろしいウィルスだ!
経済や人の命を奪うだけでなく、人々の心まで奪おうとしている
飲食店の経営者が、せめて知事が決めたルールの中でと昼営業しても、「ヤメロ、潰れろ、死ね」と張り紙される。
経営者は、「自粛警察」という相手が見えない恐怖のあまり、休業。
徳島では県外ナンバーを付けているだけで投石されるし、あおられる。
感染者の患者の家に石が投げ込まれたり、落書きをされるなど、感染のショックの上に陰湿な差別や嫌がらせをうけたりする。
家庭内でも、先の見えない苛立ちで親の暴力・差別・いじめ等で家庭崩壊も増加。
日本人、どうしてしまったのだ。
イライラ感、閉塞感の中で、差別をしてしまう人間の本性が出てしまうのだろうか。
東京は今日も感染者165人、ちっとも減らないし、「やっぱり」の空虚感。
「緊急事態宣言」が1ヶ月延長された。
連休明けまで頑張ろうという緊張の糸がプツンと切れるのは間違いない。
何度も聞いた「ここが正念場」、連休明けまでとした責任はどうなっているのだろう。
この一言で、もう一ヶ月経ったら、更にもう一ヶ月と言われる可能性が大になった。
しかも、全て皆さんの我慢する行動次第という、民衆の行為の方に責任を押しつけることも忘れてはいない。
陰鬱な空気の中で、相当長引くことを覚悟せねばならない。
少しずつ更新お褒め
(R2/5/1)
とんち和尚の一休さんと、子供達と無心に手まりをつく良寛さん
一休さんは反骨精神満々の激しいお坊さん、良寛さんは質素で静かなお坊さん
全く対照的なお二人ですが、端的に言ってしまえば、子供好きで真面目なお坊さんと、破天荒で不真面目なお坊さんです。
それは、晩年の女性への対応にもその性格が良く現れています。
一休さんは、森女との性に溺れ、(恋愛という次元を超えています) 一方で良寛さんは、恐らく貞心尼と手を触れたこともないほどの純粋な、歌を詠み交わすだけの純情な恋のような気がします…両極端です。
一休さんが何故奇抜な行動をしたのかは、形骸化した当時の仏教への批判であり、臨済禅独特の風狂の精神を表す行動だったようです。
一休さんは自分が復興した京都:大徳寺の住職となります、一方良寛さまは山の中の五合庵で一人暮らし。
お坊さんにとって一休型の行動は、容易に行ずることができますが、良寛型の実践は何度生まれ変わろうともとてもできそうにありません。
では、果たして私はどちらの型かといえば、良、一、いや……どちらでもない「ほんの少し良寛さんよりのちょうどいい加減型」です。(本当か?という声が聞こえたような、聞こえなかったような)
手まりをつく良寛さん 一休さん:正月は冥土の旅の一里塚
(R2/4/30)
国を率いる首相の決断力の差が確実に現れました。
ニュージーランド首相、
初期段階で厳格確実なロックダウン実施後、
本日見事な勝利宣言…あっぱれです
若いアーダーン女性首相の爪の垢を安倍総理に飲ませたい。
想定を遙かに超える史上最強の感染力に対するには、菌の出入りを科学的に、物理的に完璧にシャットアウトすべきです。
それを彼女はほんの初期段階で解りやすい言葉で国民を納得させました。
国民も、若いが洞察力・判断力・実行力のある彼女の才を認め、言葉と人柄に万福の信頼を置いているからこそできたのでしょう。
森友、加計、桜を見る会等、普段から嘘まみれ・言い訳まみれで、あちこちの顔色伺いが得意で、人間的に信頼の極めて薄い安倍総理には不可能なのかもしれません。
「来るべき時には躊躇なく断行します」の躊躇なくが、不良品の多いマスク配布や拘束力のない中途半端な「緊急事態宣言」ですものね。
拘束力がないということは、「ザル法」と同じです、コロナ菌がザルを通してニコニコしながら往来していることでしょう。
ニュージーランドがうらやましい!
◎国民の約4割があの世を信じている(R2/4/27)
あの世とこの世を支配する
大いなる存在に
気がついているのではないか
統計数理研究所が5年ごとに実施する、「日本人の国民性調査」[2](2008年)では、「あの世」を「信じる」は38%で、「信じない」(33%)を上回る。
20歳代から40歳代では「あの世」を「信じる」が「信じない」を上回る。
テレビの電波が見えないけれども実際には存在するからテレビが映る、スマホの電話だって、無線なので見えぬが、やはり存在する。
見えぬから信じないという事象は科学的にもありえない。
実際、この世に生まれ出ることすら不思議だ。
科学・医学、どんな力をもってしても、人の死を止めることはできない。
人智を超える、いや神仏をも超える、大いなる存在を住職は信じている。
◎七歳の女の子でも人を導く導師となれる(R2/4/24)
道元禅師の言葉です
グレタさんの言動は
道元様のこの言葉に直結する
厳しい自然環境問題を指摘するグレタさんをトランプ大統領があざ笑うかのように言い放った。
「すごくばかげている。グレタは自分が抱えている(怒りのコントロール)問題に取り組んで、友人と一緒に古きよき映画を見に行くべきだ。」
自国の利益のみを追求し、環境破壊問題を悉く軽視するトランプ大統領に対する「コロナ」という天の警策(鉄槌)が打ち下ろされたのではないかと思います。(できればトランプだけに打ち下ろしてほしかったが)
コロナにたいする初動対応も軽視、世界で最大の感染者数と死亡者数がトランプの慢心を打ち砕きました。
情けない顔のトランプを見たのは初めてです。
最近はこの情勢下でも、選挙対策「経済復活」を唱え始めているが、「もろ刃の剣」で危険極まりない、イチかバチかの博打に出ています。
しかし、天が許すはずがありません。
平成二十五年八月十日、三十年連れ添った妻が膵臓癌を患い、半年ほど苦しんだ後、満五十五歳の若さで亡くなりました。(私は六十五才でした)
ちょうどお盆直前に亡くなりましたので直ぐに葬儀というわけにいかず、九日後の八月十九日に悲しい葬儀をいたしました。
翌二十日深夜一時半頃でした。 二階の寝室で眠っていると、突如階段を誰かが上ってくる大きな足音で目が覚めました。
妻がもういないものですから「泥棒」だと気づき、大して役に立たないと思えるのですが、枕元に置いていた木の棒を取ろうとしましたけれども、体が全く動きません、金縛りにあったのです。
その足音は階段を上がりきったかと思うと、隣の妻の部屋のふすまを大きな音でパタンと閉めたのです。
これはまずいことになったと思い、渾身の力を振り絞って金縛りを解き、棒を握って怒鳴り込みながら隣の部屋へ入りました。
「誰だっ」…ところが誰もいないのです。
くまなく探したのですが何もいないのです。
そこで初めて気がつきました、「ああそうか、あんただったのか」
よく考えてみれば、泥棒があんな大きな足音を立てるはずがありません。
その日から私は元気を取り戻しました。
いつでも妻が近くにいるんだなと思えるようになりました。
でもその日限り、妻は音も姿も見せてくれません。
ですから最近は「あの時足音で報せてくれたのはお別れを言いにきたのかもしれない」と思うようになりました。
医療関係者の皆さま
命がけのお仕事
ありがとうございます
感謝してもしきれません
皆さまが感染されないことを
心底お祈りいたします
不幸にも感染された方々の
早期回復も祈ります
切なる切なる祈りです
早くワクチンが出来ますように
感染している全ての方々が早く全快されますように
新型コロナが収束し
元通りに活気のある世の中が回復しますように
皆が生き生きと元気を取り戻せますように
祈ります……祈ることしか出来ませんが
ひたすら祈ります
神仏を信じて神仏に救っていただくことを
ひたすらひたすら祈ります
真剣な祈りは必ず神仏に届きます
絶対に絶対に絶対に……届きます
皆で祈りましょう!
◎煩悩の数はなぜ108なのか?(R2/4/21)
★ヒント ……語呂合わせのかけ算
除夜の鐘をつかれた事がおありだろうか。
つく回数は108だということは知っていても、煩悩の数ということは知っていても、なぜ煩悩の数が108なのかということを案外知らないものです。
諸説があるのですが、一番有力な説で納得出来やすいのが、語呂合わせのかけ算です。
仏教の四苦八苦です
四苦……4×9=36 八苦……8×9=72
36+72=108 となります。
この世は思い通りにはいかないものです。
どんなに煩悩(欲望)が膨らんでもままならず、四苦八苦をするハメになります。
煩悩が生ずるのは人間である以上仕方の無いことであるが、煩悩のまま生きるのではなくて、煩悩を抑制する力を養えというのが仏教なのです。
※ちなみに九九のかけ算はいつごろから始まったというと…1,500年位前で仏教と
一緒に中国から入って来たようです。
※除夜の鐘の起源…中国の宋に起源があり、鎌倉時代に禅寺に伝わったと云われ、今の
様な仏教行事が一般化したのは室町時代。
(R2/4/20)
★真言宗(密教)とは違います
さて、あまりコロナの三密とは関係なくなったが、これはこれで完結しておこうと思う。 この身口意の三密は真言宗独自のものであって、決して曹洞宗のものではありません。
曹洞宗では「身口意の三業」と呼ばれ、懺悔文(さんげと読みさがにごらない)の中に入っています。
真言宗では身口意を行ぜば、そのまま仏になる教えに対し、曹洞宗は仏になるための戒法を受ける前の段階に行ずる(身心のお清めをする)ものなのです。
お祖師様によって身口意に対する考え方は全く違うのですが、どちらが良いとかどちらが上とかではありません。
※真言宗でも懺悔文はあるが、三密とは区別するため、口を語に変えて身語意となっている。)
★曹洞宗の「身口意の三業について」述べてみたい。
「懺悔文」
我昔所造諸悪業(我、昔より造る所の諸の悪業は)
皆由無始貪瞋痴(皆、始めもなき貪瞋痴に由る)
従身口意之所生(身口意に従り生ずる所なり)
一切我今皆懺悔(一切を我、今皆な懺悔す)
曹洞宗の修証義第二章には「懺悔滅罪」があります。
この懺悔滅罪は道元禅師の著作「正法眼蔵」の中から言葉を厳選してコンパクトにお経としてまとめ、明治23年大内青巒居士(曹洞宗侶でも檀信徒でもなかった)が原案を作り、両本山の禅寺様が校閲改訂され公布されたもので、5章31節から成っているが、その第2章です。
★第二章のタイトルは「懺悔滅罪」ではなく「懺悔滅罪根」にすべきだと思います。
なぜなら道元様が「懺悔の力罪根をして銷殞(しょういん)せしむるなり。」とお示しだからです。
これを間違えて解釈するお寺さんや学者さんが多いのですが、道元様がハッキリと罪根とお示しですから、キチンとしたがうべきです。
罪業(罪)が消えると解釈する方が本当に多いのですが、そうではなく罪の根っこ(心口意の三業)が無くなっていくと解釈すべきです。
下記の文は貞昌院様HPの文を参照しました。
( 懺悔文を唱え)
是(かく)の如く懺悔すれば必ず仏祖の冥助あるなり、
このように懺悔すると、仏祖は必ず目にみえぬお力をかしてくださいます。
心念身儀(しんねんしんぎ)発露(ほつろ)白仏(びゃくぶつ)すべし
仏祖の慈悲を心に念じ、涙を流さんばかりに過去の悪い行いを告白すべきなのです。
発露(ほつろ)の力罪根(ざいこん)をして
自分をさらけ出すまごころの力は、必ずや罪過をつくり出す根ともいうべき心口意の根っこである貪瞋癡を消滅せしめ、
銷殞(しょういん)せしむるなり。
清浄なる心境に至らしめてくれるのである。懺悔こそ新生の第一歩である。
以下明日に続く
小池都知事が3月25日、「NO!!3密」というフリップを掲げたのが最初ですが、元々は仏教用語です。
それも真言宗の空海上人:弘法大師様が唱えられた言葉です。
「身・口・意」の三密を加持すると仏になれると教えられました。
「身・口・意」とは、行い・言葉・心です。
これは真言宗の教えですから、真言宗のお寺様:金乗院様のHPからヒントをお借りします。
自らの身体、言葉、心という三つのはたらきを、仏様の三密に合致させ、大日如来と一体になることが仏になる道だ、と空海様は説かれます。
具体的には、手に仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)によって、仏様と一体になる努力をしていくことをいいます。
真言宗の宗祖・弘法大師が伝えてきたものは、ご存じのとおり「密教」の教えです。
この「密教」の教えとは何でしょうか。
弘法大師は、その特徴を密教以外の仏教すなわち「顕教」と対比することにより明確にしています。
その中で、最も分かりやすい特色が、悟りに至る考え方です。
つまり「顕教」では悟りに到達するまでに、何代にも渡って生まれ変わり、気の遠くなるような時間を要するとしているのに対して、「密教」では今ある肉身のままで直ちに悟りに至ることができるとしています。
弘法大師は、全ての人間がもともと仏と同じように悟りの境地に達する資質を内に秘めており、 修行によって本来の姿にたち返るなら、肉身のまま即時に成仏することができると説いています。これが真言密教の根幹ともいえる「即身成仏」説です。
森羅万象を大日如来の現れと説く密教では、人間の三つのはたらきも大日如来の現れであるから、本質的には人間も大日如来と同じであるとしています。ただ、大日如来のはたらきは通常の人間の思考では計り知れないということから、密なるものという意味で「三密」と呼んでいます。
「三密加持」とは、自らの身体、言葉、心という三つのはたらきを、仏様の三密に合致させ、大日如来と一体になることであり、具体的には、手に仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)によって、仏様と一体になる努力をしていくことをいいます。 以下明日
R2/4/16
〈あの世のことは勝五郎に聞け〉です。
よく世間話では「あの世なんてほんとは多分ないよね、だって臨死体験をする人はあっても、あの世から帰って来た人なんて一人もいないんだから。」
ふつうはこんな会話で終わるのではないでしょうか。
しかし残念ながら、確かにあの世から帰って来た人物がいるのです。
江戸時代、多摩郡中野村(現在の八王子)、当時八歳の勝五郎君が突然前世と、この家に生まれ変わる迄の消息について詳しく語り始め、家族はびっくり仰天。(葬儀で自分の棺桶の上に乗って墓まで行き、黒装束の老人と共に過ごし、その老人の指示で新しい母親の胎内に潜り込んだことなどを供述)
たちまち噂が広まり、あまりにも過去の事実とピタッと一致するので、隣の程久保村(現在の高幡不動近辺)の前世の両親が不思議に思って会いたがり、面会が実現、前世では藤蔵という名だった彼を、前世の両親が「六歳で亡くなった藤蔵に何から何までソックリだ」と抱き上げ、涙に暮れたのです。
江戸中が大騒ぎとなり、若桜藩の大名(池田冠山)が聞き書きにやって来たり、当時国内随一の国学者として名声の高かった平田篤胤と伴友信が、勝五郎君を自宅に呼んで聞き書きをした記録書が残っています。(勝五郎再生記聞)
あの世が確かに存在する証明と、転生に至る体験をした勝五郎君が、全てを証言してくれました。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は随筆集『仏の畠の落穂』(英文)の中で、「勝五郎の転生」という文で、全世界に発信しています。
『あの世』は間違いなくあるのです。
(R2/4/11)
弘長寺の大般若法要は、毎年四月の第二日曜日の午後2時から修行しております。
今年は4月12日に開催予定でありましたが、コロナ対応特別法要を実践しました。
せっかく長年続けてきたものを中止にするのは耐えがたく、何とか密閉・密集・密接を避けて実施できないものかと策を考えました。
まず10日までに祈願札に祈願内容を書きこんでいただき糊付けで封をしていただき玄関の三宝に載せたお盆の上に置いていただく。 (旧いお札は別の八寸の上)
玄関には同じくアルコール消毒を置いた。
想像以上に申し込みをいただいた。
翌11日に副住職と二人で大般若祈祷法要を修行する。
翌12日(日)は朝8時から夕方5時まで、個別祈祷(理趣文をもってを個人個人ご本人に祈祷する) をして祈祷札と祈念品を渡す。
本年は「叶願餅」はとりやめました。
そして後日、大裕と二人で 祈願札を読経しながらお炊き上げです。
◎とうとう感染者が…(R2/4/10)
とうとう感染者が出てしまった。
時間の問題だと思っていたのだが、致し方ないですね。
ご本人は罪悪感を感じて申し訳ない気持ちを持っておられるであろうけれども、決して本人が悪いわけではありません。
まさしく運が悪かったのです。
確立としては誰もが100%感染する状況で、たとえ在宅で一歩も外へ出なくたって、宅急便や郵便配達さんからの感染だってあり得るのですから。
航空便やJRも完ぺきにシャットアウトされてるわけでもなく、島根が無感染者県だからと全国から観光に来られる方も多数おられました、だから可能性としてはかなり高かったわけです。
悪意に満ちた人たちからの辛辣な言葉を受ける可能性もありますので、この女子高校生は本当に可哀想です。
大社さんのおかげという伝説もくずれました。
今後は一層各自が気を引き締めなければなりません。
買い物もどこへいけばよいのか悩ましくなりますね。
とうとう安倍総理が「緊急事態宣言」を発表しました。
少し遅きに失した感がありますが、本当に感染を止めることが出来るのか。
全ては若者の意識がカギとなります。 最初の段階で、若い方は感染しないという強力な思い込みによって、今でもそう考えている若い方は相当いるのではないかと思います。
だからその若い方の意識を変えられるかが一つの大きなネックとなるだろうと思います。
○東京はじめ各地で感染者が爆増しているのに、何故島根・鳥取は感染者がゼロなのか?
近隣の方に色々伺ってみると、それは大社さんのお陰だという声が非情に強い。
台風がそれたり、直撃しても大した事無かったすると忽ち、ああ、大社さんのお陰だ、とこうなります。
続きは明日!
当山では毎歳此の日、山門前にある延命地蔵菩薩様の供養祭を執り行います。
今年も地蔵講の方や梅花講の皆さまによって盛大に催すことができた。
さて、住職にとって数十年来解決を見ない問題があります。
もちろん、お地蔵様についてであります。
それは、お地蔵様の尊像には御堂を作ってさしあげた方が良いのか、それとも作らない方が
良いのかということである。
え?そんなことはどっちでもいいですって?
そんなに簡単なら数十年も悩むことはなかったのですが。
野や道ばたにおわします、私どもにとって一番身近で親近感があり、有り難い仏様です。
そのお地蔵様が、大嵐や風雪の中でじっと耐えておられる、野ざらしになっておられるのは
かわいそうだ、という視点で見れば屋根のついた御堂をお作りしたくなります。
昔話に笠地蔵があります、頭の雪を払い、せめて雨風を忍ぶ笠だけでもおかけしたい。
…それも大切な心ですよね。
反対に、いやいやお地蔵様は我々と同様の人間ではなく仏様なのだから、人間のものさしで
計るべきではない、いかなる罪を冒した人であっても、いついかなる場所であっても分け隔
てなく誰にでも救いの手をのばされる……地獄界を含め、六道全てに救いの手を網羅されて
いる方でありますから、そんなスーパーマン的仏様に対して、我々と同じ人間を見るような
思いで見るのは逆に失礼ではないのか。
ちなみに、延命地蔵様と六地蔵様は御堂の中で、子育て地蔵様や鐘楼堂脇のお地蔵様は野ざ
らしです。
はてさて皆さまならどちらを選ばれますでしょうか、ウ~ン悩ましい。