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      住職の謎解き

 

★謎① 2個あったはずの経筒が1個消えた謎

 背中の蓋を開けたその奥、丁度心臓部に当たるところに経筒を納める四角い穴が二つ作られているが、一つは経筒が入ってカスガイで留められていた。

 しかし、もう一方は空であった。

 住職の推理では、江戸時代初頭、弘長寺住職薫甫和尚が位牌堂の荒廃に嘆き、時の松江藩主:松平直政公に直訴懇願し、藩費で再建したとの文書が存在する。

 再建していただいたがお礼をするものが何もない、そこでそのお礼にと二つある経筒の一つを差し出したのではないかと思う。

 だから、松江市月照寺にある直政公の墓所を掘れば、それが出てくるのではないかと思っている。

右の棚板がある方の上部に2個の鎹(カスガイ)があるが、
1個は中身が無い。

★謎② 平成17年 弘長禅寺位牌堂(阿弥陀堂)を改築したばかりなのに、間髪入れずに何故本堂耐震修改築大事業を成し得たか?

 平成17年位牌堂(阿弥陀堂)が完成、その前年9月、名古屋の仏像修復専門業者に阿弥陀像を送るため、800㎏もある尊像を庭に運び出してゴロンと転がした時、皆に衝撃が走った。

 背中の蓋を外すためであろう、その蓋の上部に硬貨大の穴が空いてのぞき込むと多数の墨書が見えた。

 また、お尻の裏や腿の裏にも多数の墨書が出現した。

 詳細解明のため、教育委員会職員や護持会代表者と共に住職が名古屋まで出かけて、解体された木像の中にあった経筒や墨書の写真を持ち帰った。

 当時の宍道町教育委員会や島大名誉教授:中世史専門の井上教授に見てもらったら、県重文級のお宝とのことで大騒ぎとなった。

 発見は平成16年9月であったが、その敏の暮れには宍道町有形文化財となった。(現在は松江市有形文化財)

 誰もの胸を打ったのはその墨書の中身である、当時の地頭:尼子氏や重臣、来待在住の僧俗の名前や亡僧の名前まで連ねてあり、地域一丸となって平和を祈願し作製したものであることが判明した。

 平和への祈願をこめた仏像を為政者・僧俗一丸で作製に至るということは、織田信長誕生年という戦乱の世真っ只中、あすをの命もわからぬ危機感募る思いが現実として全ての人々の心に迫っていたという証明でもありましょう。

 来待の地区名も沢山書かれていて、当に自分たちのご先祖が、平和への熱い思いをこの仏像に託したこともわかったのです。

 当初、専門の教授や学者先生の講演をお寺や公民館で開いたりして、お檀家様や近隣の皆様にもお宝出現の喜びを共有しました。

 位牌堂に何か知らんが大きな仏像がある、という程度にしか思っていなかったその仏像が、突然県の重文級のものすごいお宝であることも解ったのです。

 又、仏像胎内から銅製経筒も発見され、法華経全巻写経の上それをその経筒に入れ、それを66個作製、全国の66ヶ所の奉納所に奉納したというきの遠くなるような修行があったことも判明した。

 その感動が冷めやらぬ内に、タイミング良く耐震銅板屋根のカナメという業者が来山調査し、本堂天井裏や床下の危険極まりない写真を見せられました。

 恐らく震度6クラスなら間違いなく倒壊といおう状態が、護持会委員さん方の目にも明確に映し出されました。

 しかし、普通なら位牌堂を建てたばかりだから、まだまだ応分は時期尚早とんでもないという話で終わるのですが、菩提寺がこのような歴史ある有り難いお寺であるならばという、我が目を疑うほど突然のお宝発見の感動的な勢いが、そのまま委員さん方やお檀家皆さま方を協力に後押しさせたからこそ実現可能となったのでありましょう。