◎ホットダイアリー 3
R2/6/14
意味は「善人が救われるのなら、悪人が救われて当然だ」ということになります。
浄土真宗の真骨頂を表す有名な言葉ですが、それでは伺いましょう。
大悪人:オーム真理教の麻原彰晃は往生できているのだろうか。
浄土真宗の教えを紐解くと、我々が普段理解している善悪の捉え方が全く違うということに気づかされます。
「自力本願」と「他力本願」によって、善悪の判断をするのです。
自分を頼りに何でも解決出来ると思っている人こそ偽善者であり、慢心であり、思い上がりの心を持った救いようのない悪人だ(本人は善人だと思い込んでいるが)というのです。
それよりも自分で悪人であることを自覚している悪人の方が、まだ救われる余地が残 っている、そういう解釈なのです。
いろいろな解釈があるのだなあと気づかされます。
しかし、ここで親鸞様にクレームをつけておかねばならない。
自力と他力と両極端に簡単に分けておられるが、おそらく曹洞宗も禅宗=自力という設定枠の中に入っているとおもうのですが、実は違います。
曹洞禅は「仏の家に我が身心を投げ入れ、仏におまかせし、 仏さまに導びかれてゆくならば、己は力をも入れず、心をも働かさなくて、それでいて生死を離れることができ、仏となる。」……道元禅師の言葉です。(臨済禅は違いますが)
だから自力の禅のようでいて、中身は他力の禅なのです。
100%の自力が無いように、逆に100%他力ということもありえません。
念仏を唱えようという意識を作り出すのは自力に他なりません。
故に自力も他力も相反する要素を備え持っているのです。
ところで、麻原彰晃は往生できているのだろうか?
多分彼は教団信者のトップで、自分は尊崇される大聖人(大善人)と思ったまま死刑になったのですから、救いようのない偽善大悪人で、往生など出来るはずがありません。
ただ麻原が往生できるかどうかなんて、51番「天国泥棒」と同じで、我々の知ったことではありません。
R2/6/13
だってお母さんのマーヤ夫人がお産のため故郷に向かっている途中、ルンビニー苑に咲く、美しいアショーカの花を折ろうとして手をのばした時に、その夫人の脇の下から産まれ出たのがお釈迦さまです。
夫人は花を折ろうとしたくらいですから、恐らく陣痛も何も無かったのでしょうね。
その産み落とした赤ちゃんが忍者のようにクルッと一回転してパッと地面に立ったかと思ったら、七歩歩いて両手の人差し指を天と地に指して「天上天下唯我独尊」(天にも地にも我1人)としゃべったのですから驚きです。
まさに怪物、化け物です。
我々は伝説だと思っているから、「あ、そう」ですませるんですが、事実であればマーヤ夫人はその場で気絶されたと思います。
そして「大変な事をしてしまった、化け物を産んでしまった」と寝込まれたことでしょう。
気の毒にマーヤ夫人は、脇の下からお産をしたものですから、産後の肥立ちが悪く一週間後に亡くなられてしまうのです。(お産の個所は別として、一週間後に亡くなられたのは事実です)
伝説とはいえ、少し悪ふざけが過ぎてしまいました。
偉人に対して、凡人との差を強調するために、考えられないような伝説やいわれが存在しています。
軽く受け流して解釈致しましょう。(いつもの脱線、お恕しあれ!)
私がものごころついたころ、初めてお釈迦様の物語を読みました。
読んでいて、不思議で仕方がなかった。
だって一国の王子様ですよ、アレが欲しいと言えば、侍従が「かしこまりました」と必ず叶えてくれます。
夏と冬別々の別荘があって、食べ物は豊富で食べ放題、身の回りも全て美しく若い女性達が世話をやいてくれます。
何一つ不自由が無い、一般庶民に取っては憧れの最たる身分で、ぜいたくし放題、憧れの生活ではないですか。
箱入り娘ならぬ箱入り息子で、坐ったまま全てが思い通りになるのですよ。
我々だったら、何という幸せなと思えるうらやましい身分ではないですか。
ところが世の中うまくできていて、最初から恵まれ過ぎていて、あまり欲望が涌かない状況だと哲学的に深く考える生き物なんですね。
(私? 私なら考えませんよ、多分ずっとこのままでいいと思うはずです、もし考えていたら、私もお釈迦様クラスの聖人となっていたでしょう、ありえませんが)
お釈迦様は結婚して子供も1人いるんです。
多分美貌で、選ばれた女性だったのでしょう、想像できます。
但し、名前がよくありません、ヤソーダラー妃と言うんです。
私はこれを「イヤそうなダラ」と読んでしまってゴメンナサイ。
注:出雲弁でダラは「アホ:バカ」
お釈迦様はシャカ族出身の王子なので「お釈迦さま」と呼ぶのですが、贅沢三昧、幸せの極地という自分の最高の境涯を全てオシャカにして(アレ?)たまたま見かけた修行僧に憧れて出家されるのです。
「何ともったいないことでしょう」、ものごころついた当時の私は心からそう思ったものです。
R2/6/11
8万4千にも及ぶ経典がある中で、どういう姿勢で、どのお経を選ぶべきか、ということです。
中国の天台 智顗(ちぎ)老師のように、どのお経が一番正しいか(教相判釈といいます)を選んだお坊さんがいます。
気持ちはわからないのではないのですが、私はこのような態度は仏教者としてふさわしいとは思いません。
仏教者は、お釈迦様のお経は全てありがたいと思うべきだと思っています。
だってそのお経よりもこちらのお経の方が自分にとってはありがたいと思えることだって沢山あります。
そのお経だけが全てではありません。
天台 智顗(ちぎ)老師は、お釈迦が一番最後に説かれたお経は法華経だから、法華経が一番優れている、と主張されました。
その流れは、日本の日蓮聖人さまが受け継いでいらっしゃいますが、残念ながら現在では学術的に、法華経ではなく涅槃経が一番最後のお経であるということが定説です。
確かに法華経はすばらしいお経です、間違いありません。
しかし智顗老師が一番勝れていると主張されるならば、その勝れている根拠を、具体例をもって説明されるべきでした。
このお経はここが間違っていて、それに比べて法華経はこういう解釈しているから法華経の方が勝っている、とういうように。
ただ、最後の教えだから勝れている、というだけでは説得力がなさすぎます。
まして法華経が一番勝れてていて、それ以外のお経を信じる者はおかしいと批判や攻撃を加えるなんて、もはや仏教の教えから完璧に逸脱していると言わざるをえないでしょう。
どのお経も素晴らしいのです、数あるお経の中で、自分に合ったお経を選べば良いと私は思っています。
R2/6/8
お経について調べていくと、不可思議な思い、微妙な感覚に襲われることがある。
何故かといえば、お釈迦様が自分の肉声で語られたものを記録したのではなく、亡くなられてから300年から500年後に作られたものだからです。
お釈迦さまはこう言われたというお話を、弟子から弟子へ伝え伝えたことが初めて文字化されたのがお経であるという、それもお釈迦様没後300年から500年も経ってからなのです。
日本でいえば、300年前なら江戸中期頃のことですし、500年前なら織田信長が生まれる前の戦国時代ですよ。
果たして、その頃の事が言い伝えだけで正しく伝わっているのでしょうか。
するとすぐに思い浮かぶのが、伝言ゲームをしたときに、最後の答えが正解とはかけ離れた答えになることが多い。
全くトンチンカンな答えに、笑いが起き、面白さが爆発する。
今の今、たった数人の人数でさえ、最後は違った答えになるのです。
とすると300~500年間伝えられ続けた答えって本当に大丈夫なのか、ということです。
しかも、しかもですよ、お釈迦様は対機説法で、怠けている人には「もっと真面目にやれ」、真面目すぎる人には「もっと手を抜け」と真反対の説法をされたとのこと。
だからお経の中には正反対の内容のお話(教え)が可能性としてはあり得る、ということです。
「そんないい加減なものなのか」と思わずにいられない、それが真実です。
明日につづく
R2/6/5
ひろさちや先生の著書の中に、天国泥棒という文章がある。
この文章が私は大好きだ。
カトリック教会に「天国泥棒」という言葉がある。
悪行だらけで生きてきた者が、死の直前に洗礼を受ける。
するとその人は天国に行けるけれども、まるで天国を泥棒したようなものではないか。
長年の敬虔な信者からすれば、悪行の限りをつくして、最後の最後に洗礼を受けて天国に入られたのでは、なんとなく許せない気になる。
ひろ先生がインド人の神父さんに会った時、この話題を神父さんにぶつけた。
すると神父さんは、軽快に答えた。
「人は人、自分は自分、他人が天国に入るか入らないかなんて、どうだっていいではありませんか」
まさにその通りですよね。
悪行の限りを尽くした者が、死の直前「南無阿弥陀仏」を唱えた。
その者が浄土にいけるかどうかは我々の知ったことではありません。
そこから先は治外法権、仏様の裁量領域なのです、快く見送りましょう。
「心を入れ替えて浄土行きですか? ジョウド、ジョウド」
アレ、ドウジョだったかな?
◎玄奘三蔵法師が
17年間唱え続けたパワーも
呪文の中に合わせて埋め込まれている
R2/6/3
伝承話とかいろいろな説があるのだが、最も納得できるのは、玄奘より200年ほど前に活躍した偉大な訳経家:龍樹(法華経とか阿弥陀経を漢訳)の訳した心経を身につけて旅に出たのではないかと思います。
だから心経の素晴らしさを十分認識して読誦しながら旅をしたのでしょう。
危機に遭遇すれば、おそらく最後の呪文「ギャーテーギャーテー」を必ず唱えたのだろうと思います。
この龍樹の心経を、インドでサンスクリットを学んだ後、玄奘は自分の訳に再生し直しています。
私は龍樹訳の心経は知りませんけれども、観自在菩薩を観世音菩薩と訳したことは解っています。
なぜなら龍樹は法華経を訳していますから、法華経の中の「観世音菩薩普門品」も訳していますので間違いないと思っています。
しかし、玄奘はインドでサンスクリットを学ぶと、「観世音」と訳すのはおかしいと思ったのでしょう。
「観世音」とは世の音を見るだが、助けを求める音を聞いただけでは、秒速300メートルなので速度的に救いが間に合わないので、「観る」と龍樹は表現したのだろうと思います。
しかし、玄奘はサンスクリット語を忠実に訳すという姿勢を持っていましたので、「観世音」では不十分で「観自在」と訳し直したのです。
一般的には「観世音」は慈悲を、「観自在」は智慧を強調すると見られているようです。
いずれにしても、最後の呪文は龍樹も音写かそのままサンスクリット語を載せたと思われます。
「ガテーガテーパーラーガテー、パーラサンガテーボーディースワーハー」
これがサンスクリット語ですが、玄奘がサンスクリット語で唱えていた可能性も大ではありますが、それにこだわることはありません。
「ギャーテーギャーテー」で十分です。
だって玄奘が旅でお守りのごとく唱えた呪文です、原語だろうが音写語だろうが同じです。
天竺への旅17年、3万キロに及ぶ過酷な旅を守り通した呪文だから、そしてその玄奘が訳し直した心経の呪文だから、そのパワーも凝縮合力されていると、私は思うのです。
伝承話を紹介しよう
R2/6/1
伝承話は証拠のある確かな史実ではないかもしれないが、玄奘の求法の硬い意志と、しかし同時に、最終的には民衆を、目の前の人を救うための修行であることを彷彿させるお話なので、違和感なく史実の如く受け入れることができます。
旅の始めの頃に、玄奘はあるお婆さんに出逢います。
ぼろぼろの布にくるまった感じの身なりのお婆さんが,玄奘に声をかけます。
お坊さま,
実は、今この様な病気になっています。
腕を見ると、膿が湧き、腐りかけている様子。
この地方では、このような病気のとき、家族が膿を口で吸いだしてもらうと助かるとい
う、言い伝えがあります。 家族にお願いをしたら、とんでもないと言われ、家を追い出されてしまいました。
このまま、死を待つだけと思っていたら、目の前にお坊さまが通りかかられました。
なぜか、お坊さまに膿を口で吸いだしてもらったら、治りそうな気がいたしました。
何とかお願いできないでしょうか?
とんでもないお願いです。
これから天竺にお経をとりに行こうとしているのに、ここで命を落とすかもしれない。 普通だったら、大事な目的があるので、と断るはずです。
玄奘はしばらく考えたのちに、実際に老婆の腕に口をつけて膿を吸い
ました。
その瞬間、老婆が観音様に変わりました。
※ここで注釈など入れるべきではないのですが、道元様が御修行中、中国人典座(台所係)に
何を答えても「しこうして何の用(為)ぞ」 と質問を受け続けたのと同じで、「結局それ
は何の為なのだ」と仏様が、老婆を通して、求法という名の奥にある 究極の真の志を問い
ただされたのです。
他の僧侶とナーランで、
仏教をナーラッタ!
R2/5/31
仏教は唯一、ナーランダ大学に残っていた。
玄奘は救われた思いに至ったに違いない。
玄奘が主に学んだのは唯識であった。
さて唯識とは何か?………難しいので、この内容はパスしましょう。
これをくどくど説明すれば、二度とこのホームページに立ち寄ろうという気がしなくな
るでしょうから。
超簡単にいうと、つまりは「般若心経」の不不不と無無無で…「意識
や無意識」…そんなものは無いと、次々に否定するあれです。
だから般若心経の哲学部分を徹底的に学んだということです。
玄奘は5年間にわたってこの(唯識)の思想をナーランダ寺院(大学)で学んだ。
その思想は、結果的に南都六宗:法相宗として日本にも伝わった。(奈良:薬師寺・
興福寺等)
玄奘は優秀で、この大学の副学長にまで就任した。
そして大量の経典や仏像を集めて中国に持ち帰る事になる。
コロナ優等生対応国家のベトナムが紹介された
R2/5/30
途中から見たので、ネットのデータを参考にします。
日本と人口はさほど変わらないのに(9,600万人)、5/28現在、感染者 327人、回復退院者 278人(85%)、現在隔離治療者 49人、そして驚くべき数字は感染死亡者、未だに0人です。
(アメリカは10万人・日本は870人)
死亡者が0人ですよ、各国の現状を考えると信じられない数字です。
SARSの苦い体験を持つベトナムの対応は早かった。
最初に武漢での死者が出た時点で、中国へのビザ発給禁止、中国人の国内受け入れ禁止、空港封鎖。
1人の感染者が出ると、即その村(地域を)をロックダウンする方法を取った。
2月までに在ベトナム中国人 5,000人を全て隔離等、とにかく全ての対応が素早くて的確だったし、感染者の追跡も厳重だった。
隔離された感染者もその施設で、苦しみなどない、テレビではリラックスしてビールを飲んだりしてむしろ無料で楽しい対応を受け、不満など無かった。(日本の隔離とはえらい違いです)
4/1緊急事態宣言と同様のお願いも出たのですが、なにせ感染者の数が違いますからあっという間の収束(4/15)です。(警察が出て、結構厳しかったとのこと)
42日間感染者0を記録、経済も当然ダメージを受けるが、日本とは大違い、今年のGDPは+2.7%の予想だという。
如何に初動対応が大切かが解かるというものです。
その結果が政府のコロナに対する対応評価が93%となって、政府への信頼度は世界で5本の指に入りました。
日本は恥ずかしながら、最後から数えた方が早い……37%です。(国民の政府への信頼度)
そしてどうやら、日本ではまたあちこちで当然のように、第二波が起こり始めたようです。
※昨日は草刈りで体調を崩して、一日休みました、今日からまた頑張ります。
病み上がりで、いきなり脱線してすみません。
インドに入った玄奘は唖然とした。
R2/5/28
それは、当時のインドが想定外の状況だったからです。
、
さぞかしインドでは仏教が盛んで、寺院だらけ、僧侶だらけで、経典も余りあるほど有るに違いないと、ワクワクしながら乗り込んだ玄奘であったが、現実は想像とは全く逆でありました。
仏教が衰えて、末期を迎えていたからです。
何故か? それはそもそもインドが他国に比べて異常なほどの差別絶対国家だったからです。
バラモン教からヒンズー教に引き継がれ、そのヒンズー教の教えに基づく苛烈なカースト制度が民衆の意識に深く刻まれ、その差別は現在まで続いています。
( 昨年4月、21歳のジテンドラさんというダリットの男性が、結婚式で上位カースト(ヒンドゥー教社会の身分制度)のグループの前でイスに座り食事をしたということだけで暴行され、9日後に死亡した。居合わせた参列者は誰一人証言しようとしなかった。)…ダリットとはカースト制に属さない最下位の身分
その差別容認インド社会に忽然と「人は平等なり」と叫んで現れた方がお釈迦様だったのです。
その教えと理論には、誰しもが感動と賛同を覚えて信仰し、仏教が盛んになっていったのだけれども、お釈迦様がお亡くなりになり、インドを統一して仏教を土台に統治したアショーカ王の時代を過ぎると、仏教の宗派同士が争ったりして仏教が弱体化し、民衆の魂の中からジワジワとあの忌まわしい差別感が、再びにじみ出てきたのではないかと思います。
お釈迦様の教えは素晴らしいと理論的には解っていても、何世紀にも亘って染みついたものが、お釈迦様の死後、残念ながら理屈抜きでフツフツと湧き出てきたのではないでしょうか。
差別感を容認するバラモン教・ヒンズー教が盛り返して、仏教と入れ替わろうとしていた、たまたまそんな時代に玄奘は、インドに入っていったのです。
ー30度の山並みを一週間も歩けるだろうか?
R2/5/27
雪解けを待って天山山脈に登ったとしても、現代のプロ登山家も首を傾げるほどの難行です。
案の定、氷の道とすさまじい吹雪きで大半の随行員は凍死、だがジャイアント馬場並の頑強な身体を持つ玄奘は生き残ったのです。
話はちょっとだけ戻るが、タクラマカン砂漠を抜けて、高昌国(トルファン)に入った玄奘は、この国に留まって、国民に布教してもらいたいとの国王の懇願を、自分は天竺から経典を持ち帰る使命があるので、仏法の為、その願いには応えられないと断るが、ならばウンと言わせようと軟禁されてしまう。
しかし断食をして抵抗、ついに玄奘の意思の強さに国王も根負けし、逆に随行のお供や食料をつけて天山山脈に送り出したのです。
しかし、玄奘の(本当は玄奘様と呼びたいのだがお許し願いたい)危険に立ち向かう意思の強靱さには脱帽します、誰もかないません。
如何に経典を求める為とはいえ、言葉も通じない諸国を通行せねばならず、中には現代のどこかの国のように、予告なしでミサイルを撃つような危ない国もありましたでしょう。
実際に玄奘めがけて、いきなり矢が飛んでくるという体験をしておられます。
命をなくす確率は100%を超えていたに違いありません。
それを仏様がそのお力で、99%に留められたのだと、
私は思っています。
最初にタクラマカン砂漠を渡る
R2/5/26
唐の政府に天竺への旅をいくら申請しても許可が出ないので、
国禁を侵して天竺(インド)への旅に踏み出した。
捕まれば首をはねられる可能性が大なので、追っ手を気にしながらの旅となった。
タクラマカンという意味は「迷えば生きて帰れない」と訳されるので、厳しい道のりとなることを意味している。(タクラマカン砂漠は日本がすっぽり入るほどの広さです)
40度を超える灼熱の砂漠に老いた馬一匹を連れての旅、途中で大切な水袋を落としてしまいます。
玄奘も馬も、水なしでは砂漠を渡りきれません。
死を目前にして馬があらぬ方向へ歩き出した。
「そっちではない」と力なく叫ぶのだが、馬はどんどん進む、そして遂に奇跡が…馬が水の在りかへ導いたのです。
年老いたこの馬は、以前にタクラマカンを渡ったことがあるとの説明があるが、
私は仏様が導かれたのだと思っています。
完璧な後出しジャンケンですよ
R2/5/25
コンビニで三流週刊誌の立ち読みをしていたら、「ロックダウンを叫ぶ日本人はお国の奴隷になりたがるバカ」、「ロックダウンしろ」と言うバカへ、それは民主主義の否定だという主旨の文が載っていた。
日本では不思議なことに、コロナ感染が最近勢力を弱めている。
外国でもそういう傾向が見えてきているようです。
何か新型コロナの特質的理由があるんでしょうね、何日か経つと一気に感染力が弱まるような。
それをこの時期に、ロックダウン主張する奴は大馬鹿者だと言われても、そりゃないんじゃないのかな?
この論を出すのなら、緊急事態宣言が最初に出た頃(4/7)に出すべきですよ。
その時にはシカとして何も言わずに、今落ち着いてきた頃に出すというのは、安全圏に入ったから何を言っても大丈夫という、後出しジャンケンに過ぎないと思いますよ。
私は今でも、ロックダウンした方が結果的には終束が早まっていたし、被害ももっと少なくて済んでいたと思います。
今のコロナの特質など未知の時に、強烈な感染力で医療崩壊寸前まで感染が進んでいたのに、拘束力を伴わない生ぬるい対策は未だにあり得ないと思っています。
今後、今の新型コロナよりもっと強力なウィルスが発生した場合に、同じ手を使われたらと思うとゾッとします。
現在結果オーライとなりつつあるのは、生ぬるい対策でもたまたま幸運であっただけで、政府の対策が正当化され、称賛されるべきことでは絶対にないと思います。
医療崩壊が起こって、諸外国のように死亡者数が数万人に及ぶようなら、民主主義もへったくれもない、逆に、それこそ民主主義の否定になるのではではないでしょうか。
それほど衝撃的な特徴などありません
R2/5/24
だから小説では、刺激的な創作をしたのもよく理解できます。
ごく簡単に生い立ちを説明しますと、河南省の洛陽近くで四男として生まれた。
5才で母を亡くし、10才で父が亡くなった時、次兄が出家して浄土寺に入ったので、玄奘も同じく洛陽の浄土寺に入り僧になった。
日本では聖徳太子が活躍して、遣隋使が盛んだったころです。
隋が衰え、洛陽の情勢が不安定になると、次兄とともに長安の荘厳寺に入った。
隋王朝が滅び、唐王朝が生まれる、玄奘は中国にある経典は信頼に堪えない怪しい経典ばかりなので、原典を求める思いが募り、唐王朝に何度も天竺(インド)への出国を願い出るも全て却下された。
玄奘27才の時、ついに国禁を犯し天竺への旅に出る。
小説創作の出自をうかつに信じて失敗したので、
名誉挽回、今日は慎重に書きました。
背の高さ2.1m・イケメンではあるが、
ジャイアント馬場並みのガッシリとした
大男だったようだ。 R2/5/23
最高温度70度を記録したことがあり、40度超えが当たり前のタクラマカン砂漠を馬を連れて一人で渡り、4、000m級の山々が連なるマイナス30度の天山山脈をお供の人足と行軍したが、極寒故人足が殆ど死亡、だが玄奘は頑健な身体で乗り越えた。
さて、ここでお詫びを入れなくてはなりません。
昨日と一昨日のお話は、後で小説として作られた出自でありました。
どうりで話が出来過ぎでおかしいと思いましたよ。
面白さにハマって確認がおろそかになってしまいました。
今後はよくよく確かめてからお載せいたします。
あらためてお詫びを致します、大変申し訳ありませんでした。
明日は本当の出自を載せようと思います。